見てしまった。
 あの映像を見てしまった。
 途中からはボーッと見ていた。
 そして、思った。

 「人形みたい」

 そして、切り取られた血まみれの首を見たとき初めて思った。

 「気持ち悪い」

 何とも寝る前にこんな映像を見てしまうとは寝付きが悪い。
 そして、今まで自分が考えていた自己責任論が、非常に大きな同情に変わるのを感じた。

 でも、それでも、ボクはどこかで彼の甘さを感じていた。
 一つには、彼の首を切る人が全くためらわなかったこと。
 もう一つには、彼の首を切る人が非常に手際よく切り取ったこと。

 ボクは首を切られるといったとき、日本の切腹でいう介錯人のイメージでいた。
 後ろから日本刀でバサッと切り捨てる、あのイメージである。
 しかし、実際は違った。
 フトコロから出した小さいナイフで首を切り始め、ドバドバと吹き出す血なんて気にもせず、サクサクと首を切り取った。
 本当に、ただのナイフで、ザク、ザク、ザクと切り取っていったのである。
 まるで豚や熊の解体でもするように。

 きっと彼は性善説の人だったのだろう。
 まさかためらいもなく、ああいうことができる人間がいるなんて思わなかったのだろう。何しろ、イラクで知り合った人の家に泊めてもらえばいいとか言っていたくらいの人なんだから。

 ボクも実はどちらかというと性善説の人である。
 正しくは、白紙説なのだが、白紙説は最初人間はまっさらだという考え方から始まることを考えると、性悪説より性善説に近い。
 そうなると、結構ボクも同じ間違いを違う場面で犯すような気がしてくる。
 あの場面において、1万円やそこらで行くというのはハッキリ言って無謀だ。
 少なくとも、もう少しお金を持っていって、身を守るなり、早く脱出するなり、何か想定外のことがあったときに、何らかの手段をとることができるようにしておくべきだ。
 ただ、あの映像を見てからは、ちょっと考え方が変わった。
 性善説とリスク管理は別次元の話であるという意見もあるだろう。
 しかし、リスク管理というものが、周りを疑うことから始まることを考えると、それはまさに性悪説からの帰結であり、性悪説的な発想からでなくては生まれ得ないであろう。
 してみると、彼は世界各地を旅する中で、人の優しさ・暖かさを知り、人を信じることを知ったのだとすると、それがあだになったことになる。
 では、それでいいのか。
 それを責めることだけでいいのか。
 正論としては、イラクの現状をふまえて考えれば、理論的にも無謀な行為として切り捨てることもできるのであろうが、ボクはその甘さも含めて人間なのだという気がしている。
 そして、彼もまた人間であったからこそ、あのような判断を行ってしまったのであり、同じ人間であるからこそ、その甘さを非難したくなるのではないか。
 そんなことを、あの映像を見ながら、彼に自分を重ね見て思ってしまった。

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