反論メールの職員を処分 橋下知事「物言い非常識」(朝日新聞)
2009年10月9日 時事ニュース
上司というのは、独裁者ではない。確かに、部下が上司の指示に従わないとしたら問題であると思うし、それによって仕事に差し障りが生じたとしたら、それは処分の対象となりうる。しかし、意見を言ったことで処分をされるとしたら、それは単なる私怨であり、ある種の言論の自由を封じるものとも言えよう。
民間企業で社長に意見ができるのか、と知事は言う。しかし、間違った方向に会社の経営が進んでいた場合、相手が社長であったとしても、諫めるのが正しい部下のあり方であろうと思うし、それは受け入れる度量がトップには求められると思う。
知事は、周りをイエスマンで固めたいようだ。しかし、それは間違いの元であることを、歴史は示していると思う。今までにも、イエスマンだけで周囲を固めたことにより、間違った方向へ進んでしまい、つぶれていった例はいくらもあるはずである。
いわゆる反対勢力を、ふところに抱えることは危ない。しかし、反対意見を言う自由は、与えてもしかるべきではないだろうか。私はそう思う。
部下にはいろいろな意見を持つものがいる。それを主張するのは、私は自由だと思う。当然、経営方針などについて、最後の決断を下すのはトップの役割である。したがって、部下の意見を聞き入れるかどうかは、そのトップが決めればよい。しかし、その前に様々な部下の意見を聞いてみる。そして、良いものは取り入れたり、自分の考えに問題があれば修正する、といった程度の柔軟性は、トップには求められてしかるべきではないだろうか。
最近、日本人はやたらとリーダーシップという言葉に踊らされている。しかし、ここで冷静にならなくてはいけない。リーダーシップやカリスマ性の先にあるのは、ある種の独裁である。イエスマンに固められた集団は変化に対応できず、トップの判断ミスが、組織の崩壊にまでつながってしまうことがある。ヒトラーの例を出すのに問題があれば、経済界でも堤清二氏のセゾングループや、中内功氏のダイエーグループの例を考えてみれば良いだろう。ビッグネームになりすぎたトップを抱えてしまうと、周囲は意見が言えなくなる。それは、間違いを正す自浄作用さえも失わせてしまうのである。
今、大阪府は、橋下知事の独裁体制になろうとしている。知事は、大阪府民の支持の下、独裁体制を敷こうとしている。もともと、知事は大統領制に近い制度であるから、独裁制に近いものとなりやすいところがある。ただ、それでいいのか。府民の支持があれば、果たしてそれで良いのか。私は、法律家としての橋下知事に、あらためて聞いてみたい。
民間企業で社長に意見ができるのか、と知事は言う。しかし、間違った方向に会社の経営が進んでいた場合、相手が社長であったとしても、諫めるのが正しい部下のあり方であろうと思うし、それは受け入れる度量がトップには求められると思う。
知事は、周りをイエスマンで固めたいようだ。しかし、それは間違いの元であることを、歴史は示していると思う。今までにも、イエスマンだけで周囲を固めたことにより、間違った方向へ進んでしまい、つぶれていった例はいくらもあるはずである。
いわゆる反対勢力を、ふところに抱えることは危ない。しかし、反対意見を言う自由は、与えてもしかるべきではないだろうか。私はそう思う。
部下にはいろいろな意見を持つものがいる。それを主張するのは、私は自由だと思う。当然、経営方針などについて、最後の決断を下すのはトップの役割である。したがって、部下の意見を聞き入れるかどうかは、そのトップが決めればよい。しかし、その前に様々な部下の意見を聞いてみる。そして、良いものは取り入れたり、自分の考えに問題があれば修正する、といった程度の柔軟性は、トップには求められてしかるべきではないだろうか。
最近、日本人はやたらとリーダーシップという言葉に踊らされている。しかし、ここで冷静にならなくてはいけない。リーダーシップやカリスマ性の先にあるのは、ある種の独裁である。イエスマンに固められた集団は変化に対応できず、トップの判断ミスが、組織の崩壊にまでつながってしまうことがある。ヒトラーの例を出すのに問題があれば、経済界でも堤清二氏のセゾングループや、中内功氏のダイエーグループの例を考えてみれば良いだろう。ビッグネームになりすぎたトップを抱えてしまうと、周囲は意見が言えなくなる。それは、間違いを正す自浄作用さえも失わせてしまうのである。
今、大阪府は、橋下知事の独裁体制になろうとしている。知事は、大阪府民の支持の下、独裁体制を敷こうとしている。もともと、知事は大統領制に近い制度であるから、独裁制に近いものとなりやすいところがある。ただ、それでいいのか。府民の支持があれば、果たしてそれで良いのか。私は、法律家としての橋下知事に、あらためて聞いてみたい。
反論メールの職員を処分 橋下知事「物言い非常識」(朝日新聞)
2009年10月9日 時事ニュース
上司というのは、独裁者ではない。確かに、部下が上司の指示に従わないとしたら問題であると思うし、それによって仕事に差し障りが生じたとしたら、それは処分の対象となりうる。しかし、意見を言ったことで処分をされるとしたら、それは単なる私怨であり、ある種の言論の自由を封じるものとも言えよう。
民間企業で社長に意見ができるのか、と知事は言う。しかし、間違った方向に会社の経営が進んでいた場合、相手が社長であったとしても、諫めるのが正しい部下のあり方であろうと思うし、それは受け入れる度量がトップには求められると思う。
知事は、周りをイエスマンで固めたいようだ。しかし、それは間違いの元であることを、歴史は示していると思う。今までにも、イエスマンだけで周囲を固めたことにより、間違った方向へ進んでしまい、つぶれていった例はいくらもあるはずである。
いわゆる反対勢力を、ふところに抱えることは危ない。しかし、反対意見を言う自由は、与えてもしかるべきではないだろうか。私はそう思う。
部下にはいろいろな意見を持つものがいる。それを主張するのは、私は自由だと思う。当然、経営方針などについて、最後の決断を下すのはトップの役割である。したがって、部下の意見を聞き入れるかどうかは、そのトップが決めればよい。しかし、その前に様々な部下の意見を聞いてみる。そして、良いものは取り入れたり、自分の考えに問題があれば修正する、といった程度の柔軟性は、トップには求められてしかるべきではないだろうか。
最近、日本人はやたらとリーダーシップという言葉に踊らされている。しかし、ここで冷静にならなくてはいけない。リーダーシップやカリスマ性の先にあるのは、ある種の独裁である。イエスマンに固められた集団は変化に対応できず、トップの判断ミスが、組織の崩壊にまでつながってしまうことがある。ヒトラーの例を出すのに問題があれば、経済界でも堤清二氏のセゾングループや、中内功氏のダイエーグループの例を考えてみれば良いだろう。ビッグネームになりすぎたトップを抱えてしまうと、周囲は意見が言えなくなる。それは、間違いを正す自浄作用さえも失わせてしまうのである。
今、大阪府は、橋下知事の独裁体制になろうとしている。知事は、大阪府民の支持の下、独裁体制を敷こうとしている。もともと、知事は大統領制に近い制度であるから、独裁制に近いものとなりやすいところがある。ただ、それでいいのか。府民の支持があれば、果たしてそれで良いのか。私は、法律家としての橋下知事に、あらためて聞いてみたい。
民間企業で社長に意見ができるのか、と知事は言う。しかし、間違った方向に会社の経営が進んでいた場合、相手が社長であったとしても、諫めるのが正しい部下のあり方であろうと思うし、それは受け入れる度量がトップには求められると思う。
知事は、周りをイエスマンで固めたいようだ。しかし、それは間違いの元であることを、歴史は示していると思う。今までにも、イエスマンだけで周囲を固めたことにより、間違った方向へ進んでしまい、つぶれていった例はいくらもあるはずである。
いわゆる反対勢力を、ふところに抱えることは危ない。しかし、反対意見を言う自由は、与えてもしかるべきではないだろうか。私はそう思う。
部下にはいろいろな意見を持つものがいる。それを主張するのは、私は自由だと思う。当然、経営方針などについて、最後の決断を下すのはトップの役割である。したがって、部下の意見を聞き入れるかどうかは、そのトップが決めればよい。しかし、その前に様々な部下の意見を聞いてみる。そして、良いものは取り入れたり、自分の考えに問題があれば修正する、といった程度の柔軟性は、トップには求められてしかるべきではないだろうか。
最近、日本人はやたらとリーダーシップという言葉に踊らされている。しかし、ここで冷静にならなくてはいけない。リーダーシップやカリスマ性の先にあるのは、ある種の独裁である。イエスマンに固められた集団は変化に対応できず、トップの判断ミスが、組織の崩壊にまでつながってしまうことがある。ヒトラーの例を出すのに問題があれば、経済界でも堤清二氏のセゾングループや、中内功氏のダイエーグループの例を考えてみれば良いだろう。ビッグネームになりすぎたトップを抱えてしまうと、周囲は意見が言えなくなる。それは、間違いを正す自浄作用さえも失わせてしまうのである。
今、大阪府は、橋下知事の独裁体制になろうとしている。知事は、大阪府民の支持の下、独裁体制を敷こうとしている。もともと、知事は大統領制に近い制度であるから、独裁制に近いものとなりやすいところがある。ただ、それでいいのか。府民の支持があれば、果たしてそれで良いのか。私は、法律家としての橋下知事に、あらためて聞いてみたい。
11病院拒否 搬送3時間県外へ40キロ 奈良の流産 [朝日新聞]
2007年8月30日 時事ニュース
08月30日付 朝日新聞の報道「11病院拒否 搬送3時間県外へ40キロ 奈良の流産」へのコメント:
ひどいなぁ、救急車を頼んでも、何の役にも立たないってことじゃない。それに、記事によると、最初に受け入れを求められた奈良県立医大病院には空きベッドがあって、本当は受け入れ可能だったらしい。ただ、当直医にきいたら、後にして欲しいと言ったらしくって、それを事務員が勝手に勘違いして受け入れ拒否と取ったというんだけど、この言い訳はちょっと無理があるでしょう。
どうせ、当直医は面倒くさいと思って、受け入れ拒否をしたんだけど、あとから流産したと聞いて、ヤバイと思ったから、慌てて事務員のせいにしたというところじゃないかな。まあ、それだけ医療の現場はあれているということであって、医師なんて言っても、人の命を救おうとかじゃなくて、ただ単に金がいいからなったという医者が増えているってことなんでしょう。まったくイヤな世の中になったもんだ。下手に医者にもかかれやしないよ。
ひどいなぁ、救急車を頼んでも、何の役にも立たないってことじゃない。それに、記事によると、最初に受け入れを求められた奈良県立医大病院には空きベッドがあって、本当は受け入れ可能だったらしい。ただ、当直医にきいたら、後にして欲しいと言ったらしくって、それを事務員が勝手に勘違いして受け入れ拒否と取ったというんだけど、この言い訳はちょっと無理があるでしょう。
どうせ、当直医は面倒くさいと思って、受け入れ拒否をしたんだけど、あとから流産したと聞いて、ヤバイと思ったから、慌てて事務員のせいにしたというところじゃないかな。まあ、それだけ医療の現場はあれているということであって、医師なんて言っても、人の命を救おうとかじゃなくて、ただ単に金がいいからなったという医者が増えているってことなんでしょう。まったくイヤな世の中になったもんだ。下手に医者にもかかれやしないよ。
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偽装コロッケは32万個 [日刊スポーツ]
2007年7月9日 時事ニュース
07月09日付 日刊スポーツの報道「偽装コロッケは32万個」へのコメント:
肉なんて、混ぜてしまえばわからない。逆においしくなるくらい。
しかも、馬肉だって、牛の脂を塗りたくれば牛肉になる。
大腸菌が検出されても、生で食べる人なんていないし、どうせ加熱するから大丈夫。
肉の専門家がそう言うんだから、きっと間違いないんだろう。
実際、これまで何年もバレなかった。
今回の件だって、アホな三男坊が役員たちとケンカしなかったら、こんなに明るみには出なかっただろう。
ましてや、告発を受けた農水省や北海道の役人が、面倒くさがって調べないような状況ではなおさらだ。
役人が告発を聞いても無視し続けたのは、仕事が増えるのが面倒くさいなんていう私的な理由だけではなくて、ミートホープの経営への影響や、それに伴う苫小牧市や北海道の経済への影響。そして、食の安全への信頼の破綻といった影響など、様々なことを考慮して、これをまともに扱うと大変なことになると思ったのかも知れない。
しかし、食の安全を監視・監督する部署においては、まさにそう言った安全が守られているかどうかだけを考えて行動すべきであり、行動指針も食の安全が実際に守られている状況をいかにして実現するかという点に求められるべきだろう。そういう意味で、彼らの行動は大きく間違ったと思う。
先日、ジョナサンの日替わりランチを頼んだところ、牛肉コロッケが出てきた。食べていると、中から何か噛み切れないものが出てきた。何かと思って見てみると、薄くカットされた楕円形の物体が出てきた。これは明らかに肉ではない。むしろ筋と言った方が正しいのではないだろうか。
「もしかしたら、ジョナサンの牛肉コロッケもミートホープ?」
そして、冷静に考えてみると、ミートホープは業務用もかなり作っていたことに気づく。確かに偽装が発覚してから、小売業界では製品が撤去されたという話を聞く。しかし、外食産業で仕入れてしまった牛肉コロッケを処分したという話は聞こえてこない。とすると、かなりの確率で、ミートホープの社長と同じく、もったいない精神もあって、そのまま客に出しているのではないかと思われる。
また、ジョナサンの牛肉コロッケがミートホープ社製ではなかった場合。これはもっと怖いことになる。つまり、第二、第三のミートホープの存在が、示唆されているように感じるからである。そして、それが加ト吉やジョナサンといった、よく知られたブランド名に隠されながら、消費者のもとに届く。外食産業においては、消費者は知らないうちに食べさせられる。何とも怖いことではないか。
最近、中国製の食料品についても、疑わしいことが知られてきている。そして、それに伴い、なぜか食の安全を脅かすものに対し、厳しい態度で臨もうとしない役人たちの姿があらわになってきている。
企業というのは営利を追求するものであるから、例えば有名な外食チェーンが偽装コロッケを使っていたとなれば、イメージという点でも大きな経営的打撃を受けることになるし、実際に各店に配られた食材を廃棄するとなれば、それはそれで大変な損失になるだろう。直接・間接の経営的損害を考えれば、黙って使ってしまうというのが、経営判断としては取りやすい選択ではないだろうか。でも、だからこそそれを取り締まるべき存在が必要なのであり、そこに行政の存在意義があるはずである。
全ての役人が悪いとは思わない。しかし、今出てきている結果を見れば、良い結果とは言えないことも確かであろう。ここは今回の事件を良い教訓として、役人たちには視点を変えて欲しい。そして、取り締まるべきところは厳しく取り締まって欲しい。社内で内紛が起こらない限り、不正が発覚しないような取り締まり体制では明らかに不十分である。今後、そういったところが是正されなくては、外食産業なんて怖くて使えないし、食材を買ってくるのでさえ、何を信じていいのかわからなくなる。
今、日本の行政改革は、まだ途中かも知れない。しかし、過渡期だからといって、犠牲になるのは私たちである。本当に一日でも早く、この過渡期を脱出して、違反者には厳しい態度で臨める組織を作って欲しいものである。
肉なんて、混ぜてしまえばわからない。逆においしくなるくらい。
しかも、馬肉だって、牛の脂を塗りたくれば牛肉になる。
大腸菌が検出されても、生で食べる人なんていないし、どうせ加熱するから大丈夫。
肉の専門家がそう言うんだから、きっと間違いないんだろう。
実際、これまで何年もバレなかった。
今回の件だって、アホな三男坊が役員たちとケンカしなかったら、こんなに明るみには出なかっただろう。
ましてや、告発を受けた農水省や北海道の役人が、面倒くさがって調べないような状況ではなおさらだ。
役人が告発を聞いても無視し続けたのは、仕事が増えるのが面倒くさいなんていう私的な理由だけではなくて、ミートホープの経営への影響や、それに伴う苫小牧市や北海道の経済への影響。そして、食の安全への信頼の破綻といった影響など、様々なことを考慮して、これをまともに扱うと大変なことになると思ったのかも知れない。
しかし、食の安全を監視・監督する部署においては、まさにそう言った安全が守られているかどうかだけを考えて行動すべきであり、行動指針も食の安全が実際に守られている状況をいかにして実現するかという点に求められるべきだろう。そういう意味で、彼らの行動は大きく間違ったと思う。
先日、ジョナサンの日替わりランチを頼んだところ、牛肉コロッケが出てきた。食べていると、中から何か噛み切れないものが出てきた。何かと思って見てみると、薄くカットされた楕円形の物体が出てきた。これは明らかに肉ではない。むしろ筋と言った方が正しいのではないだろうか。
「もしかしたら、ジョナサンの牛肉コロッケもミートホープ?」
そして、冷静に考えてみると、ミートホープは業務用もかなり作っていたことに気づく。確かに偽装が発覚してから、小売業界では製品が撤去されたという話を聞く。しかし、外食産業で仕入れてしまった牛肉コロッケを処分したという話は聞こえてこない。とすると、かなりの確率で、ミートホープの社長と同じく、もったいない精神もあって、そのまま客に出しているのではないかと思われる。
また、ジョナサンの牛肉コロッケがミートホープ社製ではなかった場合。これはもっと怖いことになる。つまり、第二、第三のミートホープの存在が、示唆されているように感じるからである。そして、それが加ト吉やジョナサンといった、よく知られたブランド名に隠されながら、消費者のもとに届く。外食産業においては、消費者は知らないうちに食べさせられる。何とも怖いことではないか。
最近、中国製の食料品についても、疑わしいことが知られてきている。そして、それに伴い、なぜか食の安全を脅かすものに対し、厳しい態度で臨もうとしない役人たちの姿があらわになってきている。
企業というのは営利を追求するものであるから、例えば有名な外食チェーンが偽装コロッケを使っていたとなれば、イメージという点でも大きな経営的打撃を受けることになるし、実際に各店に配られた食材を廃棄するとなれば、それはそれで大変な損失になるだろう。直接・間接の経営的損害を考えれば、黙って使ってしまうというのが、経営判断としては取りやすい選択ではないだろうか。でも、だからこそそれを取り締まるべき存在が必要なのであり、そこに行政の存在意義があるはずである。
全ての役人が悪いとは思わない。しかし、今出てきている結果を見れば、良い結果とは言えないことも確かであろう。ここは今回の事件を良い教訓として、役人たちには視点を変えて欲しい。そして、取り締まるべきところは厳しく取り締まって欲しい。社内で内紛が起こらない限り、不正が発覚しないような取り締まり体制では明らかに不十分である。今後、そういったところが是正されなくては、外食産業なんて怖くて使えないし、食材を買ってくるのでさえ、何を信じていいのかわからなくなる。
今、日本の行政改革は、まだ途中かも知れない。しかし、過渡期だからといって、犠牲になるのは私たちである。本当に一日でも早く、この過渡期を脱出して、違反者には厳しい態度で臨める組織を作って欲しいものである。
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人質の元妻を保護 愛知の立てこもり事件 [朝日新聞]
2007年5月18日 時事ニュース
05月18日付 朝日新聞の報道「人質の元妻を保護 愛知の立てこもり事件」へのコメント:
なんとも平和な国である。これがアメリカだったら、犯人は射殺されていても仕方がないだろう。ところが日本であれば、警官が撃たれて重傷になろうが、将来のある若い優秀な警察官が殺されようが、話し合おうと言って、長時間にわたって遠巻きに眺めているだけなのである。なんとものんきな話ではないか。
これがもし、この前アメリカで起こった大学での銃乱射事件のようなものだったらどうなるのだろうか。
ただ、それでもきっと、日本の警察は同じことを繰り返すにちがいない。話し合おうと言って、みんなで囲って、遠巻きに眺めているのである。
若い大学生たちが撃たれて苦しんでいたとしても、仲間が撃たれてケガをしたとしても、きっと日本の警察は、犯人が心を入れ替えて説得に応じ、銃を投げ出して降参してきてくれるのをじっと待つのであろう。何とも平和ではないか。
自分たちの手で犯人の命を奪うくらいなら、仲間が殺されるくらいの方がいいのだろうか。罪のない市民が犠牲になり、家にも帰れず迷惑を被る方が、よっぽど良いのだろうか。おかしな話である。
一度くらい、日本でも銃乱射事件か何かが起こらないと、この国の警察は変わることができないのだろうか。多くの人々が殺され、犠牲になって、初めて犯人一人の命を犠牲にしても、他の多くの人々を守らねばならないことがあるという考えに行き着くのだろうか。
犯人の命を守るために、他の多くの人が犠牲になる。ボクはこんな考え方を、どうしてもカッコいいとは思えないのである。
なんとも平和な国である。これがアメリカだったら、犯人は射殺されていても仕方がないだろう。ところが日本であれば、警官が撃たれて重傷になろうが、将来のある若い優秀な警察官が殺されようが、話し合おうと言って、長時間にわたって遠巻きに眺めているだけなのである。なんとものんきな話ではないか。
これがもし、この前アメリカで起こった大学での銃乱射事件のようなものだったらどうなるのだろうか。
ただ、それでもきっと、日本の警察は同じことを繰り返すにちがいない。話し合おうと言って、みんなで囲って、遠巻きに眺めているのである。
若い大学生たちが撃たれて苦しんでいたとしても、仲間が撃たれてケガをしたとしても、きっと日本の警察は、犯人が心を入れ替えて説得に応じ、銃を投げ出して降参してきてくれるのをじっと待つのであろう。何とも平和ではないか。
自分たちの手で犯人の命を奪うくらいなら、仲間が殺されるくらいの方がいいのだろうか。罪のない市民が犠牲になり、家にも帰れず迷惑を被る方が、よっぽど良いのだろうか。おかしな話である。
一度くらい、日本でも銃乱射事件か何かが起こらないと、この国の警察は変わることができないのだろうか。多くの人々が殺され、犠牲になって、初めて犯人一人の命を犠牲にしても、他の多くの人々を守らねばならないことがあるという考えに行き着くのだろうか。
犯人の命を守るために、他の多くの人が犠牲になる。ボクはこんな考え方を、どうしてもカッコいいとは思えないのである。
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「定例会見は必要ですか?」 東国原知事が会見で逆質問 [朝日新聞]
2007年4月16日 時事ニュース
04月16日付 朝日新聞の報道「「定例会見は必要ですか?」 東国原知事が会見で逆質問」へのコメント:
テレビで見たが、面白い!
ああいう風に、誰もが疑問を持たないできたことを、あらためて問うてみるという姿勢はいいと思う。当たり前に必要だと思われていることに、「本当に必要なんですか?」と疑問を投げかける。それは意外とできないことだ。
そりゃあ、マスコミの人たちは、定例会見に出ることで飯を食ってるわけですし、報道というのは国民の知る権利に資する重要な仕事だ、なんて、息巻いているわけですから、不要だなんて言えるわけがない。
でも、確かに彼も言っていたように、定例会見でなければ知事の意見が聞けないというのならともかく、毎日ぶら下がりの記者がいて、意見を聞いてくるような現状では、あえて定例会見という場を設けるまでもないのではないかという彼の疑問は、あって当然とも言えよう。
石原さんが週に一回やっているということを、ニュースでは対比的に出していた。ただ、ボクもたまに石原さんの定例会見はMXテレビで見るのだが、あそこで出る質問は、何か社会で起こった出来事に対して意見を求める質問が多いように感じる。
先日起こった事件について、知事はどのように考えますか。とかいうような質問が意外と多くて、それが殺人事件だったり、政治的な出来事だったり、経済ニュースだったりする。これは、どこの知事の定例会見でも同じなのだろう。だからこそ、東国原知事は、あのような発言をしたのではないか。つまり、彼が言いたいのは、そういう質問は普段から歩いているときとかにしていて、それについて答えているんだから、そんな質問をあらためてする場を設ける必要はないんじゃないですか、ということだったのだろう。
ただ、今回の件について問題があるとすれば、定例会見の重要性を彼が見誤っているところにあるような気がする。彼は、何もないときの平時における定例会見を無駄であると見なした。実際、それは時間の無駄としか言えないような、退屈なやりとりなのだろう。しかし、定例会見の重要性が発揮されるのは、当然平時ではない。問題発生時である。問題発生時に逃げようとする知事を記者会見場に引きずり出す。そこに一つの意義があるはずである。だとしたら、知事の判断で行わないなどという前例は作るべきではないし、定例ではなくすという判断も、あまり正しい判断とは言い難いものとなりうるだろう。
また、お役人の書いた文章を発表する場というのも、やはり必要なものである。こんなくだらないニューズと思うかもしれないが、それをやることがまた仕事だったりもするのだ。そういういろいろな立場の人のことも考えて、新知事さんには太っ腹な行動も心がけて欲しいと思う。
テレビで見たが、面白い!
ああいう風に、誰もが疑問を持たないできたことを、あらためて問うてみるという姿勢はいいと思う。当たり前に必要だと思われていることに、「本当に必要なんですか?」と疑問を投げかける。それは意外とできないことだ。
そりゃあ、マスコミの人たちは、定例会見に出ることで飯を食ってるわけですし、報道というのは国民の知る権利に資する重要な仕事だ、なんて、息巻いているわけですから、不要だなんて言えるわけがない。
でも、確かに彼も言っていたように、定例会見でなければ知事の意見が聞けないというのならともかく、毎日ぶら下がりの記者がいて、意見を聞いてくるような現状では、あえて定例会見という場を設けるまでもないのではないかという彼の疑問は、あって当然とも言えよう。
石原さんが週に一回やっているということを、ニュースでは対比的に出していた。ただ、ボクもたまに石原さんの定例会見はMXテレビで見るのだが、あそこで出る質問は、何か社会で起こった出来事に対して意見を求める質問が多いように感じる。
先日起こった事件について、知事はどのように考えますか。とかいうような質問が意外と多くて、それが殺人事件だったり、政治的な出来事だったり、経済ニュースだったりする。これは、どこの知事の定例会見でも同じなのだろう。だからこそ、東国原知事は、あのような発言をしたのではないか。つまり、彼が言いたいのは、そういう質問は普段から歩いているときとかにしていて、それについて答えているんだから、そんな質問をあらためてする場を設ける必要はないんじゃないですか、ということだったのだろう。
ただ、今回の件について問題があるとすれば、定例会見の重要性を彼が見誤っているところにあるような気がする。彼は、何もないときの平時における定例会見を無駄であると見なした。実際、それは時間の無駄としか言えないような、退屈なやりとりなのだろう。しかし、定例会見の重要性が発揮されるのは、当然平時ではない。問題発生時である。問題発生時に逃げようとする知事を記者会見場に引きずり出す。そこに一つの意義があるはずである。だとしたら、知事の判断で行わないなどという前例は作るべきではないし、定例ではなくすという判断も、あまり正しい判断とは言い難いものとなりうるだろう。
また、お役人の書いた文章を発表する場というのも、やはり必要なものである。こんなくだらないニューズと思うかもしれないが、それをやることがまた仕事だったりもするのだ。そういういろいろな立場の人のことも考えて、新知事さんには太っ腹な行動も心がけて欲しいと思う。
学生自殺で高崎経済大准教授、懲戒免職 [朝日新聞]
2007年4月10日 時事ニュース
04月10日付 朝日新聞の報道「学生自殺で高崎経済大准教授、懲戒免職」へのコメント:
なんか、とてもかわいそうな話だ。
ゼミの先生が課題を出して、提出してこない学生に、提出しなければ留年だというメールを送った。そうしたら、それを見た女子学生が、自殺をほのめかしているともとれるメールを出して、自殺した。その一連の指導に問題があったとして、担当の准教授は懲戒免職になった。
こういった話を聞くと、自殺した女子学生がかわいそうだと思うのが通常なのだろうか。でも、ボクはそうではない。絶対にかわいそうなのは、准教授である。何しろ、彼は当たり前のことを言ったに過ぎないのだから。
締め切り日までに課題を出さなければ留年にする。これの何がおかしいのだろうか。今回は課題だったから、こういう表現になっているが、これが試験で評価する科目ならばこうなる。
「試験当日に試験を受けなければ、留年とする」
これって、当たり前じゃないですか?それこそ、スポーツ推薦で入ってきた野球部の学生だって、一応試験日には現れて、何か適当に書いたりして、それで提出したって体裁は整えて、単位をもらうわけでしょ。まあ、いろいろなパターンはあるでしょうけど。
大体、社会人になってからだって、決められた日にちまでに必要書類を作っていなかったら大問題でしょう。普通はみんな徹夜をしてでも、とりあえず完璧とは言えなくたって、それっぽい書類を作って出すもんでしょ。それを全く出さないっていう選択をするっていうのは理解できないし、ましてや自殺するなんておかしい。
准教授がもらったメールの内容だって、別に自殺すると書いている訳じゃないんだから、相手が自殺するなんてこれっぽっちも考えていない段階で読んだら、「提出はあきらめて留年します」というメールかと思って読み飛ばしちゃうかもしれない。今の僕たちは結果を知っているから、自殺メールだと思うけど、そうとは知らない段階で読んだら、別にそれほどの内容を含んでいるとは思わないかもしれない。今の時代、訳のわからないDMも含めて、たくさんのメールが来るから、それを流し読みしている段階では、それほどのことと認識しない可能性は十分にあると思う。
そんな風に考えると、自殺という結果を招いたことは確かに問題なのだが、そのような自殺者が出たということだけで大騒ぎをして、それで先生をクビにしちゃうというのは、それはそれで問題だと思う。事なかれ主義の招いた結果なのか。それとも、自殺した学生の親が強かったのか、知らないが、これくらいのことで懲戒免職はやりすぎな気がする。
このところ、自殺をすれば正義になる風潮がある。それで、自殺したものをかばってやることで、自らは正しいことをしたような気になっているのだろうが、ボクはそれは違うと思う。
自殺をすれば正義になるのならば、自らを正当化したい者は、自殺という選択肢を選ぶだろう。しかし、本当はその選択肢を選ばせないことが重要なはずである。その選択肢が最善の選択肢でないことを知らせること。それが重要なはずである。しかし、自分でどうにかしようと思わない人にとって、手っ取り早く自己を正当化する手段が自殺であるということにしてしまっては、それはいじめられた子供だって、自殺という選択肢がすぐに頭に思い浮かぶようになるだろう。それではいけないのだ。
きっと、この事件の続報は、もう社会には現れてこないのだろうが、この准教授には頑張って次の職場を探してもらって、今度こそは、「課題を出さなければ留年」という当たり前のことをいってもクビにならないようなまともな大学で、先生として活躍して欲しいと思う。
なんか、とてもかわいそうな話だ。
ゼミの先生が課題を出して、提出してこない学生に、提出しなければ留年だというメールを送った。そうしたら、それを見た女子学生が、自殺をほのめかしているともとれるメールを出して、自殺した。その一連の指導に問題があったとして、担当の准教授は懲戒免職になった。
こういった話を聞くと、自殺した女子学生がかわいそうだと思うのが通常なのだろうか。でも、ボクはそうではない。絶対にかわいそうなのは、准教授である。何しろ、彼は当たり前のことを言ったに過ぎないのだから。
締め切り日までに課題を出さなければ留年にする。これの何がおかしいのだろうか。今回は課題だったから、こういう表現になっているが、これが試験で評価する科目ならばこうなる。
「試験当日に試験を受けなければ、留年とする」
これって、当たり前じゃないですか?それこそ、スポーツ推薦で入ってきた野球部の学生だって、一応試験日には現れて、何か適当に書いたりして、それで提出したって体裁は整えて、単位をもらうわけでしょ。まあ、いろいろなパターンはあるでしょうけど。
大体、社会人になってからだって、決められた日にちまでに必要書類を作っていなかったら大問題でしょう。普通はみんな徹夜をしてでも、とりあえず完璧とは言えなくたって、それっぽい書類を作って出すもんでしょ。それを全く出さないっていう選択をするっていうのは理解できないし、ましてや自殺するなんておかしい。
准教授がもらったメールの内容だって、別に自殺すると書いている訳じゃないんだから、相手が自殺するなんてこれっぽっちも考えていない段階で読んだら、「提出はあきらめて留年します」というメールかと思って読み飛ばしちゃうかもしれない。今の僕たちは結果を知っているから、自殺メールだと思うけど、そうとは知らない段階で読んだら、別にそれほどの内容を含んでいるとは思わないかもしれない。今の時代、訳のわからないDMも含めて、たくさんのメールが来るから、それを流し読みしている段階では、それほどのことと認識しない可能性は十分にあると思う。
そんな風に考えると、自殺という結果を招いたことは確かに問題なのだが、そのような自殺者が出たということだけで大騒ぎをして、それで先生をクビにしちゃうというのは、それはそれで問題だと思う。事なかれ主義の招いた結果なのか。それとも、自殺した学生の親が強かったのか、知らないが、これくらいのことで懲戒免職はやりすぎな気がする。
このところ、自殺をすれば正義になる風潮がある。それで、自殺したものをかばってやることで、自らは正しいことをしたような気になっているのだろうが、ボクはそれは違うと思う。
自殺をすれば正義になるのならば、自らを正当化したい者は、自殺という選択肢を選ぶだろう。しかし、本当はその選択肢を選ばせないことが重要なはずである。その選択肢が最善の選択肢でないことを知らせること。それが重要なはずである。しかし、自分でどうにかしようと思わない人にとって、手っ取り早く自己を正当化する手段が自殺であるということにしてしまっては、それはいじめられた子供だって、自殺という選択肢がすぐに頭に思い浮かぶようになるだろう。それではいけないのだ。
きっと、この事件の続報は、もう社会には現れてこないのだろうが、この准教授には頑張って次の職場を探してもらって、今度こそは、「課題を出さなければ留年」という当たり前のことをいってもクビにならないようなまともな大学で、先生として活躍して欲しいと思う。
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虚偽出生届で起訴の中国人女性 一転、適法に 大阪 [朝日新聞]
2007年2月16日 時事ニュース
02月16日付 朝日新聞の報道「虚偽出生届で起訴の中国人女性 一転、適法に 大阪」へのコメント:
民法上、離婚から300日以内に生まれた子は、前の夫の子と推定される。そして、その推定を覆すためには、裁判が必要となる。そのため役所では、実際には違う男性との子供でも、とりあえずは前の夫との子供として出生届を出すように指示するらしい。ところが、その通り提出したら、虚偽記載だとされ、起訴されたということだ。
実際には、前の夫の子ではなかったわけだから、事実を記載しなかったといえば、確かにその通り。しかし、検察官が民法の規定や、それに基づく実務を全く知らなかったというのは、本当におそまつ。「えっ、本当に司法試験に受かったの?」と聞きたいような話である。
だいたい、こんな規定があることは、今となっては本当にナンセンスである。離婚をするということは、その前に夫婦の仲が完全に冷えている場合が多いわけで、その場合にはある意味で浮気状態が女性側に発生していることは、ままあるに違いない。だとしたら、離婚後に生まれた子供は、むしろ他の男の子供である可能性が高いとも言えるわけで、そういう意味では、前の結婚からの推定なんて及ぼす必要はないのである。それなのに、勝手に推定されるなんて、前の夫にしては迷惑な話であろう。
今回の事件も、民法の規定なんか知らない前の夫が告訴したことから始まったらしく、相手が中国人女性であったことからすれば、財産目当てに嘘を書いたと考えたのかもしれない。でも、それにそのまま乗ってしまった検察官は、かなりのアホである。大体、上司も全く気がつかないというのもおかしいし、途中でチェック機能が働かないというのも変である。
この事件を扱った検察官は裁判所で、どんな気持ちだったのだろうか。弁護士に指摘されたとき、「やっちまった!」と思ったに違いないのだが、それにしてもあまりにつまらない失態に、きっといろいろなことを考えたのではないだろうか。人の人生を左右することもある裁判である。被告人に大きな犠牲を要求するのであればこそ、検察官も大きな犠牲を負う覚悟で、仕事に臨んで欲しいものである。
民法上、離婚から300日以内に生まれた子は、前の夫の子と推定される。そして、その推定を覆すためには、裁判が必要となる。そのため役所では、実際には違う男性との子供でも、とりあえずは前の夫との子供として出生届を出すように指示するらしい。ところが、その通り提出したら、虚偽記載だとされ、起訴されたということだ。
実際には、前の夫の子ではなかったわけだから、事実を記載しなかったといえば、確かにその通り。しかし、検察官が民法の規定や、それに基づく実務を全く知らなかったというのは、本当におそまつ。「えっ、本当に司法試験に受かったの?」と聞きたいような話である。
だいたい、こんな規定があることは、今となっては本当にナンセンスである。離婚をするということは、その前に夫婦の仲が完全に冷えている場合が多いわけで、その場合にはある意味で浮気状態が女性側に発生していることは、ままあるに違いない。だとしたら、離婚後に生まれた子供は、むしろ他の男の子供である可能性が高いとも言えるわけで、そういう意味では、前の結婚からの推定なんて及ぼす必要はないのである。それなのに、勝手に推定されるなんて、前の夫にしては迷惑な話であろう。
今回の事件も、民法の規定なんか知らない前の夫が告訴したことから始まったらしく、相手が中国人女性であったことからすれば、財産目当てに嘘を書いたと考えたのかもしれない。でも、それにそのまま乗ってしまった検察官は、かなりのアホである。大体、上司も全く気がつかないというのもおかしいし、途中でチェック機能が働かないというのも変である。
この事件を扱った検察官は裁判所で、どんな気持ちだったのだろうか。弁護士に指摘されたとき、「やっちまった!」と思ったに違いないのだが、それにしてもあまりにつまらない失態に、きっといろいろなことを考えたのではないだろうか。人の人生を左右することもある裁判である。被告人に大きな犠牲を要求するのであればこそ、検察官も大きな犠牲を負う覚悟で、仕事に臨んで欲しいものである。
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中2男子がマンションから飛び降り死亡 千葉・松戸 [朝日新聞]
2007年2月2日 時事ニュース
02月02日付 朝日新聞の報道「中2男子がマンションから飛び降り死亡 千葉・松戸」へのコメント:
いじめっ子が自殺したと言うが本当なのだろうか。だとしたら、これはあまり問題とすべきではないし、教育委員会を始め、学校の対応をあげつらうのは正しい反応ではない。
今、問題となっているのは、いじめられるものたちの辛さである。いじめられて、死のうと考える者がいる中で、ようやく世の中がいじめる者たちを非難するようになった。ここで、いじめる者たちを責めてはいけないなどとなっては、結局そのしわ寄せはいじめられる者たちにいってしまう。それではいけないと思う。
いじめる者たちが、非難をされて初めて、いじめられる者たちの辛さを知る。そしてそのとき、その自分自身に向かってきた辛さがいじめられる者たちへの逆恨みとなって、自殺をしてやろうなどと考える。こういった反応はあり得ることではある。しかし、だからといって、彼らに対して同情をし、擁護するようではいけない。なぜならば、彼らはあくまでも加害者なのである。
最近、被害者の権利などという者が注目され、加害者にとっては厳しい環境が続いている。この傾向を貫くとすれば、今回の事件についても、いじめた側の人間については、厳しい目が向けられても仕方がないだろう。ただ、それが中学生であるというだけで、擁護すべき対象となるのであるとすれば、それはちょっとおかしいのであって、むしろ同じように考えることこそが正しいのではないかとボクは思う。
いじめっ子が自殺したと言うが本当なのだろうか。だとしたら、これはあまり問題とすべきではないし、教育委員会を始め、学校の対応をあげつらうのは正しい反応ではない。
今、問題となっているのは、いじめられるものたちの辛さである。いじめられて、死のうと考える者がいる中で、ようやく世の中がいじめる者たちを非難するようになった。ここで、いじめる者たちを責めてはいけないなどとなっては、結局そのしわ寄せはいじめられる者たちにいってしまう。それではいけないと思う。
いじめる者たちが、非難をされて初めて、いじめられる者たちの辛さを知る。そしてそのとき、その自分自身に向かってきた辛さがいじめられる者たちへの逆恨みとなって、自殺をしてやろうなどと考える。こういった反応はあり得ることではある。しかし、だからといって、彼らに対して同情をし、擁護するようではいけない。なぜならば、彼らはあくまでも加害者なのである。
最近、被害者の権利などという者が注目され、加害者にとっては厳しい環境が続いている。この傾向を貫くとすれば、今回の事件についても、いじめた側の人間については、厳しい目が向けられても仕方がないだろう。ただ、それが中学生であるというだけで、擁護すべき対象となるのであるとすれば、それはちょっとおかしいのであって、むしろ同じように考えることこそが正しいのではないかとボクは思う。
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「あるある」番組本、大手書店から撤去の動き [朝日新聞]
2007年1月28日 時事ニュース
01月28日付 朝日新聞の報道「「あるある」番組本、大手書店から撤去の動き」へのコメント:
レタスの話が出てきて、急に全てが信じられなくなってきた。何しろ、あんな昔からネタを捏造していたというのだ。しかも、インターネットで調べてみると、もう完全に事実として扱われている。元々は、ディレクターが思いつきで作り、実験結果も捏造したにもかかわらず、もう世の中ではレタスはその中にあるラクッコピコリンによって安眠効果があることになっている。そういう意味では、この番組がもつ影響力は、とてつもなくすごい。
実験をした先生によれば、後に同じネタを使いたいと言ってきたディレクターがいて、本当のことを言ったところ、自分で再度実験をし、効果がないことを確認した上で、放送をやめたということがあったらしい。そういう話を聞くと、まじめに番組作りをしている人がとてもかわいそうになってくる。自分で確認して、放送を取りやめたディレクターと、番組が成り立てばよいとして、捏造したディレクター。この差はあまりにも大きい。
このレタスのネタは、前のテレ東の捏造よりずっと前のことである。ということは、この制作会社は捏造をずっとしてきたことになるのであり、ニューテレスの責任は重い。
しかも、今回辞任したニューテレスの社長は、前回のテレ東の時に辞任した人と同じだという。つまり、責任を取りますと言って辞任しておいて、再度就任しているのである。これでは、会社の体質は変わりようがないし、反省だってするわけがない。だからこそ、ネタの捏造は続いてきたのであり、止められなかったのであろう。
ただ、今回のレタスの件は、健康番組全般に対して大きな波紋を投げかけそうな話である。最初この問題が明るみになったとき、朝ズバッではみのもんたが、おもいっきりテレビではありえないようなことを言っていたが、ネットで検索をしてみると、どうやらこのレタスのネタについては、やっていたらしいことがわかった。つまり、みのもんたは偉そうなことを言っていたが、実際にはあるあるの捏造したネタを、よく検証もせずに放送していたことになるのである。ここに、おもいッきりテレビのいい加減さがうかがわれる。
捏造をしたディレクターに、非常に大きな問題があることは確かである。しかし、その後にこのネタがこれほどまでに真実らしく取り扱われたのは、明らかによく検証もせずに焼き直して放送をしてきた、いい加減なディレクターの存在によるところも大きいだろう。
本来であれば、おもいっきりテレビのディレクターだって、きちんと話を聞いて、先のディレクターのように放送を取りやめる方向に行っても良かったはずである。しかし、おもいっきりテレビのディレクターは、どこまで裏を取ったのか知らないが、あるあるの捏造したネタにそのまま乗って放送してしまっている。だとしたら、今回の納豆だって、バレずにいたら焼き直して放送した可能性がある。そういう意味において、彼らはもう、あるあるのディレクターを批判できない。
あれだけ毎日、毎週放送しなければならないとしたら、それはネタが続くはずがないことはわからなくもない。しかし、やはりいくら数字がとれるとしても、捏造しなければならないほど困ったときは、潔く番組を終わるべきではないだろうか。かつて、TBSのスパスパが終わったときは、とても残念に思ったが、今から考えるとあれは正しい判断だったのだろう。捏造してまで放送を続けるのは重大なルール違反であり、放送局としてあってはならないことなのである。
今のところ、まだ最終的な処分は決まっていないようであり、今後どのような展開を見せるのか、まだわからない。しかし、たとえ関連会社といえども、制作会社には厳しい対応をすべきであるし、身内をかばうようなことがあってはならないだろう。そして、他の放送局も他山の石としてはならないのであり、むしろ自局の健康番組について、再検討をすべきであろう。みのもんたのような、安易な批判は慎むべきなのであり、彼のように自分のところは大丈夫だなどと考えているようでは、きっとこういった問題はなくならないのではないだろうか。
レタスの話が出てきて、急に全てが信じられなくなってきた。何しろ、あんな昔からネタを捏造していたというのだ。しかも、インターネットで調べてみると、もう完全に事実として扱われている。元々は、ディレクターが思いつきで作り、実験結果も捏造したにもかかわらず、もう世の中ではレタスはその中にあるラクッコピコリンによって安眠効果があることになっている。そういう意味では、この番組がもつ影響力は、とてつもなくすごい。
実験をした先生によれば、後に同じネタを使いたいと言ってきたディレクターがいて、本当のことを言ったところ、自分で再度実験をし、効果がないことを確認した上で、放送をやめたということがあったらしい。そういう話を聞くと、まじめに番組作りをしている人がとてもかわいそうになってくる。自分で確認して、放送を取りやめたディレクターと、番組が成り立てばよいとして、捏造したディレクター。この差はあまりにも大きい。
このレタスのネタは、前のテレ東の捏造よりずっと前のことである。ということは、この制作会社は捏造をずっとしてきたことになるのであり、ニューテレスの責任は重い。
しかも、今回辞任したニューテレスの社長は、前回のテレ東の時に辞任した人と同じだという。つまり、責任を取りますと言って辞任しておいて、再度就任しているのである。これでは、会社の体質は変わりようがないし、反省だってするわけがない。だからこそ、ネタの捏造は続いてきたのであり、止められなかったのであろう。
ただ、今回のレタスの件は、健康番組全般に対して大きな波紋を投げかけそうな話である。最初この問題が明るみになったとき、朝ズバッではみのもんたが、おもいっきりテレビではありえないようなことを言っていたが、ネットで検索をしてみると、どうやらこのレタスのネタについては、やっていたらしいことがわかった。つまり、みのもんたは偉そうなことを言っていたが、実際にはあるあるの捏造したネタを、よく検証もせずに放送していたことになるのである。ここに、おもいッきりテレビのいい加減さがうかがわれる。
捏造をしたディレクターに、非常に大きな問題があることは確かである。しかし、その後にこのネタがこれほどまでに真実らしく取り扱われたのは、明らかによく検証もせずに焼き直して放送をしてきた、いい加減なディレクターの存在によるところも大きいだろう。
本来であれば、おもいっきりテレビのディレクターだって、きちんと話を聞いて、先のディレクターのように放送を取りやめる方向に行っても良かったはずである。しかし、おもいっきりテレビのディレクターは、どこまで裏を取ったのか知らないが、あるあるの捏造したネタにそのまま乗って放送してしまっている。だとしたら、今回の納豆だって、バレずにいたら焼き直して放送した可能性がある。そういう意味において、彼らはもう、あるあるのディレクターを批判できない。
あれだけ毎日、毎週放送しなければならないとしたら、それはネタが続くはずがないことはわからなくもない。しかし、やはりいくら数字がとれるとしても、捏造しなければならないほど困ったときは、潔く番組を終わるべきではないだろうか。かつて、TBSのスパスパが終わったときは、とても残念に思ったが、今から考えるとあれは正しい判断だったのだろう。捏造してまで放送を続けるのは重大なルール違反であり、放送局としてあってはならないことなのである。
今のところ、まだ最終的な処分は決まっていないようであり、今後どのような展開を見せるのか、まだわからない。しかし、たとえ関連会社といえども、制作会社には厳しい対応をすべきであるし、身内をかばうようなことがあってはならないだろう。そして、他の放送局も他山の石としてはならないのであり、むしろ自局の健康番組について、再検討をすべきであろう。みのもんたのような、安易な批判は慎むべきなのであり、彼のように自分のところは大丈夫だなどと考えているようでは、きっとこういった問題はなくならないのではないだろうか。
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東知事公舎入居に二の足、豪華すぎる [日刊スポーツ]
2007年1月28日 時事ニュース
01月28日付 日刊スポーツの報道「東知事公舎入居に二の足、豪華すぎる」へのコメント:
東知事は、全部において豪華すぎるとして、自分には不釣り合いだと使わない方向に持って行きたいらしい。しかし、もったいないというのはどういうことなのか、もう一度考えた方がよいのではないかと思う。
ボクが思う「もったいない」は、今あるものを最後まで使い続け、その製品の効用を全うさせることである。つまり、壊れるまで使い続ける。または、使えなくなるまで使い続けると言うことである。
しかし、彼の言い分は、金額が高いものはもったいないので使わない。安いもので十分ということであるようだ。つまり、そこで使われる「もったいない」は、「高価である」ということを意味するに過ぎないのである。
彼が「もったいない」という言葉を使っているわけではないのだが、彼には是非もう一度、「もったいない」という精神を学んで欲しいような気がする。
有権者へのポーズとして、高価な机や椅子を使わずに、事務机とパイプ椅子を使いたいというのなら、それはそれでいいのであろう。しかし、そのとき今までの机と椅子はどうなるのであろうか。公邸にしてもそうである。わざわざ他にマンションでも借りるとなれば、そこに警備をするための設備を設置したり、いろいろと余計な経費もかかるであろう。だとしたら、今ある公邸を利用する方が得策とも思えるのであり、実は経費削減にもなるのではないかとも思えるのである。
有権者をはじめとする、人々へのアピールに力を入れるのならそれはそれでよい。しかし、中身がなければ、今までの芸能人知事と同じになってしまう。もしも、彼が次期以降も知事であり続けたいと思うのなら、外面だけでは不十分であろうし、もっと中身のあることをやる必要があると、ボクは思う。
東知事は、全部において豪華すぎるとして、自分には不釣り合いだと使わない方向に持って行きたいらしい。しかし、もったいないというのはどういうことなのか、もう一度考えた方がよいのではないかと思う。
ボクが思う「もったいない」は、今あるものを最後まで使い続け、その製品の効用を全うさせることである。つまり、壊れるまで使い続ける。または、使えなくなるまで使い続けると言うことである。
しかし、彼の言い分は、金額が高いものはもったいないので使わない。安いもので十分ということであるようだ。つまり、そこで使われる「もったいない」は、「高価である」ということを意味するに過ぎないのである。
彼が「もったいない」という言葉を使っているわけではないのだが、彼には是非もう一度、「もったいない」という精神を学んで欲しいような気がする。
有権者へのポーズとして、高価な机や椅子を使わずに、事務机とパイプ椅子を使いたいというのなら、それはそれでいいのであろう。しかし、そのとき今までの机と椅子はどうなるのであろうか。公邸にしてもそうである。わざわざ他にマンションでも借りるとなれば、そこに警備をするための設備を設置したり、いろいろと余計な経費もかかるであろう。だとしたら、今ある公邸を利用する方が得策とも思えるのであり、実は経費削減にもなるのではないかとも思えるのである。
有権者をはじめとする、人々へのアピールに力を入れるのならそれはそれでよい。しかし、中身がなければ、今までの芸能人知事と同じになってしまう。もしも、彼が次期以降も知事であり続けたいと思うのなら、外面だけでは不十分であろうし、もっと中身のあることをやる必要があると、ボクは思う。
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プリン30万個回収へ 細菌混入か オハヨー乳業 [朝日新聞]
2007年1月26日 時事ニュース
01月26日付 朝日新聞の報道「プリン30万個回収へ 細菌混入か オハヨー乳業」へのコメント:
これからこういう風になってくるのだろうか。それとも、一時的なものなのだろうか。でも、これからの時代は、本来こうあるべきだと思う。
不二家の事件により、こういった洋菓子は細菌検査の結果が出るのが遅いため、結果が出る前に出荷されるということが明らかになった。
今回の件も、苦情が出ているような時点であるにもかかわらず、細菌混入のおそれがあるということで回収されているというのは、そういった意味であろう。
だとしたら、今までであればもみ消して終わりだったのではないか。しかし、不二家の例を見て、後から発覚することの不利益を初めて知ることになった。それで、早期に回収することになったのであろう。
本当に変なものを出したくないと思ったら。
本当にお客様にきちんとしたものを提供したいと思ったら。
きっと、こういったときの対応は一つに決まっているのだ。それができないのは、不祥事をしでかしたことにより、自社の評判を落としたくないとか、社内において責任問題に発展させたくないとか、きっとそういうことなのだ。
だとしたら、そういう余計なことは考えずに、発表し、念のため回収するくらいがいい。間違っても、せいぜい幼児がおなかをこわすくらいだから大したことはないなんて、言ってはいけない。幼児が食べてもおなかをこわさないくらい安全であること。これは一つのブランドにおける重要な構成要素なのだ。
不二家のことを、笑ってみている会社が、まだまだあるような気がする。第二の不二家が出てくるかは、経営者の感覚によるのだろうと思うが、ただしくあろうとすることこそが、経営者の正しい感覚であると当たり前に言われるような時代が来ることを望みたい。
これからこういう風になってくるのだろうか。それとも、一時的なものなのだろうか。でも、これからの時代は、本来こうあるべきだと思う。
不二家の事件により、こういった洋菓子は細菌検査の結果が出るのが遅いため、結果が出る前に出荷されるということが明らかになった。
今回の件も、苦情が出ているような時点であるにもかかわらず、細菌混入のおそれがあるということで回収されているというのは、そういった意味であろう。
だとしたら、今までであればもみ消して終わりだったのではないか。しかし、不二家の例を見て、後から発覚することの不利益を初めて知ることになった。それで、早期に回収することになったのであろう。
本当に変なものを出したくないと思ったら。
本当にお客様にきちんとしたものを提供したいと思ったら。
きっと、こういったときの対応は一つに決まっているのだ。それができないのは、不祥事をしでかしたことにより、自社の評判を落としたくないとか、社内において責任問題に発展させたくないとか、きっとそういうことなのだ。
だとしたら、そういう余計なことは考えずに、発表し、念のため回収するくらいがいい。間違っても、せいぜい幼児がおなかをこわすくらいだから大したことはないなんて、言ってはいけない。幼児が食べてもおなかをこわさないくらい安全であること。これは一つのブランドにおける重要な構成要素なのだ。
不二家のことを、笑ってみている会社が、まだまだあるような気がする。第二の不二家が出てくるかは、経営者の感覚によるのだろうと思うが、ただしくあろうとすることこそが、経営者の正しい感覚であると当たり前に言われるような時代が来ることを望みたい。
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学力テスト、昨年と同問題 東京都調布市 [朝日新聞]
2007年1月24日 時事ニュース
01月24日付 朝日新聞の報道「学力テスト、昨年と同問題 東京都調布市」へのコメント:
この事件、調布市が外部委託した会社が問題を作り、データ作成などを請け負っていたらしいが、この会社がとても怪しい気がする。
このテストはどうやら去年から始まったらしく、会社の言い分としては、毎年同じ問題を使うことで、その年の学力を絶対的に評価しようということらしい。
確かに、同じ問題を毎年解かせれば、去年の人たちとの比較も容易にできるし、データの信頼性も高そうに見える。しかし、果たして本当にそうだろうか。
問題は配られず、返されないとしても、受験生の中には確実に覚えている人たちがいる。だとしたら、「去年はこういう問題が出たよ」とかいった情報が、塾などを通じて受験生たちにもたらされる可能性は非常に高い。
これは、特定の塾に通っている人たちが得をすることになりやすく、また、塾に行っている人と行っていない人の間の格差の拡大に役立つことになるだろう。ましてや、2年連続で同じような問題が出たとなれば3年目もということになるだろうし、3年連続なら4年目もということになる。そうなってくれば、再現問題集が作成されるであろうことは確実であり、それは一部の塾でのみ出回ることになるだろう。
ボクが問題だと思うのは、事前チェックを怠った調布市の怠慢さも確かにある。しかし、それにもまして、そのようないい加減な仕事で調布市からお金を巻き上げようとしている、その会社の姿勢というものを、非常に疑問に思う。
どんな会社なのかは知らない。しかし、同じ問題を使い回して、それで金を取ろうなんていうこと自体が、あまりに非常識で信じられない。だいたい、学校の試験だってあえるのが通常であり、先生たちは、どんな問題を出すかで非常に頭を悩ませるのである。それを、年をまたいでも比較しやすくするためなどという理由で、同じ問題を使い回そうなどというのは、問題である。通常、違う問題を使いながら、それでも比較をしたりするわけで、そういうことをやろうと思えばできるはずである。もしも、ノウハウがないのなら、これは耐震偽装の姉歯と同じであり、まさにそれを信頼して仕事を任せた方は、いい迷惑である。
姉歯の時もそうであるが、どうしてできないことがあるのなら、勉強しようとしないのだろう。姉歯だって、経済設計のノウハウを研究して、他の建築士のように、同じかそれよりも少ない鉄骨量で強い建物を造ることもできたはずである。しかし、彼はそのような勉強をするでもなく、むしろ偽装という道を選んだ。今回のテスト会社も、問題を毎年変えながら、他の年度の生徒との比較を可能とする方法はいくらでもあるはずだ。それを勉強しないで、しかも自分が手を抜くために、同じ問題を使い回して、しかも、そんなくだらない言い訳をするなんて、本当に姉歯なみの低レベルな脳みそといわざるをえない。
こんな業者を信頼してしまった調布市もかわいそうだが、こんな時期になって騒がれている受験生も、かなりかわいそうなのであり、こんな訳のわからぬ事件に惑わされることなく、うまく合格してくれることを祈るばかりである。
この事件、調布市が外部委託した会社が問題を作り、データ作成などを請け負っていたらしいが、この会社がとても怪しい気がする。
このテストはどうやら去年から始まったらしく、会社の言い分としては、毎年同じ問題を使うことで、その年の学力を絶対的に評価しようということらしい。
確かに、同じ問題を毎年解かせれば、去年の人たちとの比較も容易にできるし、データの信頼性も高そうに見える。しかし、果たして本当にそうだろうか。
問題は配られず、返されないとしても、受験生の中には確実に覚えている人たちがいる。だとしたら、「去年はこういう問題が出たよ」とかいった情報が、塾などを通じて受験生たちにもたらされる可能性は非常に高い。
これは、特定の塾に通っている人たちが得をすることになりやすく、また、塾に行っている人と行っていない人の間の格差の拡大に役立つことになるだろう。ましてや、2年連続で同じような問題が出たとなれば3年目もということになるだろうし、3年連続なら4年目もということになる。そうなってくれば、再現問題集が作成されるであろうことは確実であり、それは一部の塾でのみ出回ることになるだろう。
ボクが問題だと思うのは、事前チェックを怠った調布市の怠慢さも確かにある。しかし、それにもまして、そのようないい加減な仕事で調布市からお金を巻き上げようとしている、その会社の姿勢というものを、非常に疑問に思う。
どんな会社なのかは知らない。しかし、同じ問題を使い回して、それで金を取ろうなんていうこと自体が、あまりに非常識で信じられない。だいたい、学校の試験だってあえるのが通常であり、先生たちは、どんな問題を出すかで非常に頭を悩ませるのである。それを、年をまたいでも比較しやすくするためなどという理由で、同じ問題を使い回そうなどというのは、問題である。通常、違う問題を使いながら、それでも比較をしたりするわけで、そういうことをやろうと思えばできるはずである。もしも、ノウハウがないのなら、これは耐震偽装の姉歯と同じであり、まさにそれを信頼して仕事を任せた方は、いい迷惑である。
姉歯の時もそうであるが、どうしてできないことがあるのなら、勉強しようとしないのだろう。姉歯だって、経済設計のノウハウを研究して、他の建築士のように、同じかそれよりも少ない鉄骨量で強い建物を造ることもできたはずである。しかし、彼はそのような勉強をするでもなく、むしろ偽装という道を選んだ。今回のテスト会社も、問題を毎年変えながら、他の年度の生徒との比較を可能とする方法はいくらでもあるはずだ。それを勉強しないで、しかも自分が手を抜くために、同じ問題を使い回して、しかも、そんなくだらない言い訳をするなんて、本当に姉歯なみの低レベルな脳みそといわざるをえない。
こんな業者を信頼してしまった調布市もかわいそうだが、こんな時期になって騒がれている受験生も、かなりかわいそうなのであり、こんな訳のわからぬ事件に惑わされることなく、うまく合格してくれることを祈るばかりである。
そのまんま東氏神妙に「これから真価」 [日刊スポーツ]
2007年1月21日 時事ニュース
01月21日付 日刊スポーツの報道「そのまんま東氏神妙に「これから真価」」へのコメント:
驚いた。本当に受かってしまうとは。まさか、宮崎県民がこのような選択をするとは思わなかったのだが、どうやら実際の彼を見た人々は、期待できる人材と思ったらしい。
彼は、これから政策を固めて、その政策で頑張っていきたいと意気込んでいるようだ。ただ、過去の例を見る限り、問題はそこではない。一番の問題は、議会との関係である。そういう意味において、前評判の段階でいろいろと言われていたような、偉そうな態度を取ってしまっては、きっと議会から総スカンを食らい、何もできないまま、次の選挙で落ちることとなるだろう。
大体今回の選挙は、保守分裂の中で目新しい候補として出てきた彼に期待した無党派層が選挙に行ったことによって起こった現象であり、保守派が統一候補を出したり、無党派層がいつものように選挙に行かなかったりしたら、どうなっていたかわからなかっただろう。そういう意味では、次回は必ず統一候補が出てくるであろうし、場合によっては無党派層もさめてしまっている可能性がある。そういう意味では、次回はかなり厳しい選挙となろう。
彼には、せっかく今までの汚名をそそぐ機会を宮崎県民に与えてもらったのだ。ぜひ、やるからには活躍して欲しいと思うし、期待した宮崎県民に応えて欲しいと思う。
そのためにも、頭を下げるところは頭を下げ、仲良くやるべきところは仲良くやって、独りよがりの独裁者にはならないで欲しいと思う。そして、少しでも宮崎県をよくしてもらいたい。ボクは全くの部外者ではあるが、このニュースを聞いて、そんなことを思った。
驚いた。本当に受かってしまうとは。まさか、宮崎県民がこのような選択をするとは思わなかったのだが、どうやら実際の彼を見た人々は、期待できる人材と思ったらしい。
彼は、これから政策を固めて、その政策で頑張っていきたいと意気込んでいるようだ。ただ、過去の例を見る限り、問題はそこではない。一番の問題は、議会との関係である。そういう意味において、前評判の段階でいろいろと言われていたような、偉そうな態度を取ってしまっては、きっと議会から総スカンを食らい、何もできないまま、次の選挙で落ちることとなるだろう。
大体今回の選挙は、保守分裂の中で目新しい候補として出てきた彼に期待した無党派層が選挙に行ったことによって起こった現象であり、保守派が統一候補を出したり、無党派層がいつものように選挙に行かなかったりしたら、どうなっていたかわからなかっただろう。そういう意味では、次回は必ず統一候補が出てくるであろうし、場合によっては無党派層もさめてしまっている可能性がある。そういう意味では、次回はかなり厳しい選挙となろう。
彼には、せっかく今までの汚名をそそぐ機会を宮崎県民に与えてもらったのだ。ぜひ、やるからには活躍して欲しいと思うし、期待した宮崎県民に応えて欲しいと思う。
そのためにも、頭を下げるところは頭を下げ、仲良くやるべきところは仲良くやって、独りよがりの独裁者にはならないで欲しいと思う。そして、少しでも宮崎県をよくしてもらいたい。ボクは全くの部外者ではあるが、このニュースを聞いて、そんなことを思った。
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「あるある大事典」の納豆ダイエットで捏造 関西テレビ [朝日新聞]
2007年1月20日 時事ニュース
01月20日付 朝日新聞の報道「「あるある大事典」の納豆ダイエットで捏造 関西テレビ」へのコメント:
最初、納豆ダイエット自体がねつ造だったのかと思ったのだが、そうではないらしい。そういう研究はきちんとあったわけで、ただ見せ方に問題があったようだ。
問題があった箇所というのは、要するにきちんとコメントを取らずに適当なコメントを作って、あたかもその人がしゃべっているかのような形で吹き替えたとか、本来きちんと血液検査した結果などを示すべきだったのに、血液を採りながら(番組内で、よく採血しているシーンを出すから、あれ用か?)、実際には検査せずに適当な数字を出していたとか、なんかそういうところ。つまり、制作担当者が手を抜いたというのがどうやら真相らしく、その裏にはいろいろと厳しい下請け事情とかもあるのかもしれないが、要は手抜き。だから、なんか捏造と言っても、一般的に受け止められている印象と実際の状況とは異なっているように感じる。
ただ、それにしてもやっていることがお粗末。取材に行くのが面倒だから、全然違う大学教授の映像を持ってきて、その人が研究したことにし、言ってもいないことを吹き替える。そんなことをしても、研究者が異なっていることはすぐにバレると思うし、そこから追及が始まれば、他のこともバレるに決まってる。そこに気がつかないなんて、とても浅はか。こういう事件が起こると、当然不二家みたいに今までもやってたんじゃないかって思われるし、過去の放送にもケチがつく。そういう意味ではすごく損なわけで、信頼を裏切ることによる損失というのは計り知れないくらい大きくなることもあるというのに、なぜか軽く見る人たちって、後を絶たない。
なんでなんだろうねぇ。目の前の利益に踊らされているんだろうか。それとも、今までバレなかったから、これからもバレないっていうような感覚なんだろうか。どちらにしても、こういうことが起きるたびに、ボクは誰か止められなかったのかなぁと思うわけであり、それとともにかつて上司に「なんで隠さなかったんだ」と怒られたことが記憶によみがえってくるのである。
最初、納豆ダイエット自体がねつ造だったのかと思ったのだが、そうではないらしい。そういう研究はきちんとあったわけで、ただ見せ方に問題があったようだ。
問題があった箇所というのは、要するにきちんとコメントを取らずに適当なコメントを作って、あたかもその人がしゃべっているかのような形で吹き替えたとか、本来きちんと血液検査した結果などを示すべきだったのに、血液を採りながら(番組内で、よく採血しているシーンを出すから、あれ用か?)、実際には検査せずに適当な数字を出していたとか、なんかそういうところ。つまり、制作担当者が手を抜いたというのがどうやら真相らしく、その裏にはいろいろと厳しい下請け事情とかもあるのかもしれないが、要は手抜き。だから、なんか捏造と言っても、一般的に受け止められている印象と実際の状況とは異なっているように感じる。
ただ、それにしてもやっていることがお粗末。取材に行くのが面倒だから、全然違う大学教授の映像を持ってきて、その人が研究したことにし、言ってもいないことを吹き替える。そんなことをしても、研究者が異なっていることはすぐにバレると思うし、そこから追及が始まれば、他のこともバレるに決まってる。そこに気がつかないなんて、とても浅はか。こういう事件が起こると、当然不二家みたいに今までもやってたんじゃないかって思われるし、過去の放送にもケチがつく。そういう意味ではすごく損なわけで、信頼を裏切ることによる損失というのは計り知れないくらい大きくなることもあるというのに、なぜか軽く見る人たちって、後を絶たない。
なんでなんだろうねぇ。目の前の利益に踊らされているんだろうか。それとも、今までバレなかったから、これからもバレないっていうような感覚なんだろうか。どちらにしても、こういうことが起きるたびに、ボクは誰か止められなかったのかなぁと思うわけであり、それとともにかつて上司に「なんで隠さなかったんだ」と怒られたことが記憶によみがえってくるのである。
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白黒テレビ受信契約廃止…NHK19年度事業計画
2007年1月18日 時事ニュース 驚いた。いやはや、驚いた。まだこんな契約があったとは……
でも、こんなことでも、批判をする人はいるんだろうね。NHKはけしからん、貧乏人に対して値上げをするのか、とかね。
ただ、そうはいってもあまりに非常識。だって、白黒テレビって、20年も作られてないんでしょ。そりゃあ、ほとんど使ってないって。というか、使っていたとしても、カラーテレビも一緒に使ってるって。そんな、うちには白黒テレビしかありませんなんて家、ある訳ないじゃん。ハイビジョンだ、液晶だ、プラズマだって言っている、このご時世に、白黒テレビ?あまりにもおかしすぎ。そういう意味では、もっと早くやっても良かったと思うし、契約種類は一本化すべきだったと思う。
そんな既得権益を守ってあげて、太っ腹なところを見せるくらいなら、DJ OZMAをかばってあげろよ。なんてことを、ふと思ったりするのだが、ボクのような考え方は、あんまり一般的じゃないのかな?
でも、こんなことでも、批判をする人はいるんだろうね。NHKはけしからん、貧乏人に対して値上げをするのか、とかね。
ただ、そうはいってもあまりに非常識。だって、白黒テレビって、20年も作られてないんでしょ。そりゃあ、ほとんど使ってないって。というか、使っていたとしても、カラーテレビも一緒に使ってるって。そんな、うちには白黒テレビしかありませんなんて家、ある訳ないじゃん。ハイビジョンだ、液晶だ、プラズマだって言っている、このご時世に、白黒テレビ?あまりにもおかしすぎ。そういう意味では、もっと早くやっても良かったと思うし、契約種類は一本化すべきだったと思う。
そんな既得権益を守ってあげて、太っ腹なところを見せるくらいなら、DJ OZMAをかばってあげろよ。なんてことを、ふと思ったりするのだが、ボクのような考え方は、あんまり一般的じゃないのかな?
松本零士VS槇原 「盗作」騒動結局うやむやで終結?
2007年1月17日 時事ニュース J-CASTニュースによると、こういったことになったらしい。
ボクが最初この件を聞いたとき、そりゃあ、槇原が昔に聞いたことがあって、それを忘れたまま歌詞にしちゃったんじゃないかと思った。きっと槇原本人も、最初はそう思ったんだろう。だから、一度は聞いたかもしれないと認めたのだ。
しかし、よくよく聞いてみると、全然話は違った。なんと、銀河鉄道999といっても、第2部の方らしい。今はなき、ビックコミックゴールドで鳴り物入りで連載され、廃刊とともに放置されている、あの第2部での言葉らしい。
これを聞いたとき、正直ボクは、絶対に槇原は見てないと思った。というのは、この第2部、ほとんどたいした反響もなく終わってしまっているからである。いや、終わっているというのは正しくない。何しろ、途中で廃刊になったから、話の途中で途切れたままなのだ。これは、宇宙戦艦ヤマトの著作権裁判で負けて、勝手にヤマトを描けなくなっている彼が、あえて描いた大ヤマト零号と同じ状況である。
つまり、松本零士は槇原の歌詞が、銀河鉄道999の続編の一節と一致すると言っているわけであって、あの大人気アニメ、銀河鉄道999の一節と言っているわけではないのである。
これは他の例にたとえるなら、仮面ライダーの主人公が言った有名なセリフであると言われて、「そりゃあ、子供の頃に見たのを気づかずに書いたかも」と思っていたら、今やっている仮面ライダーカブトのセリフだと言われたのと同じである。
確かに、一部の人にとっては有名なのかもしれないが、一般人は見てないし、ハッキリ言ってよく知らない。それを、過去の名声を笠に着て、今の作品も有名だと言わんばかりに主張するのは、ちょっと恥ずかしい。
そういう意味では、松本零士の主張は、なんだか見ていて痛々しかったし、こんなことを言わざるをえないようになってきたのかなぁと言う気がした。
なんだかいろいろとやっていながらも、なかなかうまくいかない松本零士先生。銀河鉄道物語も、フジテレビからTBSに移って、深夜の時間帯ながら放送されているようであるから、それでなんとかお金を稼いでいただいて、変な言いがかりをつけるような形で、ご自身の過去の名声をも傷つけるような行為は辞めていただきたい。そんな風に、かつての銀河鉄道999のファンとしては、強く思う。
ボクが最初この件を聞いたとき、そりゃあ、槇原が昔に聞いたことがあって、それを忘れたまま歌詞にしちゃったんじゃないかと思った。きっと槇原本人も、最初はそう思ったんだろう。だから、一度は聞いたかもしれないと認めたのだ。
しかし、よくよく聞いてみると、全然話は違った。なんと、銀河鉄道999といっても、第2部の方らしい。今はなき、ビックコミックゴールドで鳴り物入りで連載され、廃刊とともに放置されている、あの第2部での言葉らしい。
これを聞いたとき、正直ボクは、絶対に槇原は見てないと思った。というのは、この第2部、ほとんどたいした反響もなく終わってしまっているからである。いや、終わっているというのは正しくない。何しろ、途中で廃刊になったから、話の途中で途切れたままなのだ。これは、宇宙戦艦ヤマトの著作権裁判で負けて、勝手にヤマトを描けなくなっている彼が、あえて描いた大ヤマト零号と同じ状況である。
つまり、松本零士は槇原の歌詞が、銀河鉄道999の続編の一節と一致すると言っているわけであって、あの大人気アニメ、銀河鉄道999の一節と言っているわけではないのである。
これは他の例にたとえるなら、仮面ライダーの主人公が言った有名なセリフであると言われて、「そりゃあ、子供の頃に見たのを気づかずに書いたかも」と思っていたら、今やっている仮面ライダーカブトのセリフだと言われたのと同じである。
確かに、一部の人にとっては有名なのかもしれないが、一般人は見てないし、ハッキリ言ってよく知らない。それを、過去の名声を笠に着て、今の作品も有名だと言わんばかりに主張するのは、ちょっと恥ずかしい。
そういう意味では、松本零士の主張は、なんだか見ていて痛々しかったし、こんなことを言わざるをえないようになってきたのかなぁと言う気がした。
なんだかいろいろとやっていながらも、なかなかうまくいかない松本零士先生。銀河鉄道物語も、フジテレビからTBSに移って、深夜の時間帯ながら放送されているようであるから、それでなんとかお金を稼いでいただいて、変な言いがかりをつけるような形で、ご自身の過去の名声をも傷つけるような行為は辞めていただきたい。そんな風に、かつての銀河鉄道999のファンとしては、強く思う。
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年賀状の遅配、苦情2割増 郵政公社「遅出しのため」 [朝日新聞]
2007年1月14日 時事ニュース
01月14日付 朝日新聞の報道「年賀状の遅配、苦情2割増 郵政公社「遅出しのため」」へのコメント:
郵便局はのんきでいいね。機械の処理件数を超えたら翌日に持ち越しで、そして貯まりに貯まった年賀状が年越し時点で2億2,000枚だって。そりゃ、どうりで出してない人から5日だ、6日だなんてなってから来るよ。
でも、どうなのかね。民営化されても同じなのかね。もしそうだったら、年賀状の配達を民間に開放すべきじゃないのだろうか。だって、郵政公社だけではさばききれないんだし、さばこうって気もないわけだから、他の業者にも協力してもらうしかないでしょう。
仕事はありすぎて全部こなせないし、このままでは期限も守れないけど、他の人には任せたくないなんて、頼む方にとっては大迷惑。こっちは少しでも早くと思いながら出しに行っているのに、向こうでは多すぎるから箱に入れて置いとけって感じな訳でしょ。それは、こっちとしては非常に困る。
それに、とても気になるのが、2億2,000枚の積み残しという話。これは、それぞれの局で機械の容量を超えた分を足し込んでいったらこうなったというだけの話であって、すべての局で積み残しが発生したとは言ってない。ということは、これは偏っていた可能性がある訳で、積み残しが大量発生したところは2〜3日以上放っておかれていた可能性があるということ。そう考えないと、出してもいない人から5日だ、6日だなんて日に来る訳がない。
ボクは、こういう現状を考えると、郵便局というのは民間事業者ではありえないくらいに、お客様の苦情というのを無視するところだなという気がする。ボクは、以前に友人から「客の苦情対応とかが面倒くさい。そういうのをやらなくていい仕事はないか」と言われて、迷わず「公務員」と言ったことがあったが、今ならそれに「郵政公社」を付け加えるだろう。
だいたい、郵便物を出そうとするときに、速達なんて名前をつけて、別料金を取っておきながら、「通常郵便とほぼ同じタイミングでしかつきません。しかも、場合によっては明日必着だとつかない可能性があるから、どうしても郵送ならば現地の近くの郵便局で出した方がいい。それがイヤなら、翌日に着かないことも了解して欲しい。」なんて、前日の朝に持って行っているのに、宅配業者が言うだろうか。
ボクはそれを聞いたときに、「じゃあ、速達って何?」と聞きたくなったし、近くなのに集配局が違うだけで翌日に届かない可能性があって、どうしてもというなら電車でその集配局に行って欲しいなんて、そんな言い分は、全く信じられない。まさに殿様商売というやつである。
郵政公社は、もっと民間事業者に近づくべきだとボクは思う。今のところ、みんなにバレていないから、それなりに信頼を得ているから、文句は出ていないが、その内実はかつての国鉄と変わらないのではないだろうか。そんなところはいち早く解体して、普通の会社にすべきだと思うし、そうあってこそ、お客様に対するサービスも向上するというものではないだろうか。
仕事をこなす能力のないものが、その仕事を独占する。これは、やる側にとっては仕事を有能なものに奪われなくて良い分、楽に違いないのであるが、頼むがわからしてみれば、本当に困った話である。ぜひとも、一日でも早く、有能な者に頼めるようにするか、仕事をきちんとこなせる程度に彼らの能力を高めるかして欲しいものだと、ボクは思う。
郵便局はのんきでいいね。機械の処理件数を超えたら翌日に持ち越しで、そして貯まりに貯まった年賀状が年越し時点で2億2,000枚だって。そりゃ、どうりで出してない人から5日だ、6日だなんてなってから来るよ。
でも、どうなのかね。民営化されても同じなのかね。もしそうだったら、年賀状の配達を民間に開放すべきじゃないのだろうか。だって、郵政公社だけではさばききれないんだし、さばこうって気もないわけだから、他の業者にも協力してもらうしかないでしょう。
仕事はありすぎて全部こなせないし、このままでは期限も守れないけど、他の人には任せたくないなんて、頼む方にとっては大迷惑。こっちは少しでも早くと思いながら出しに行っているのに、向こうでは多すぎるから箱に入れて置いとけって感じな訳でしょ。それは、こっちとしては非常に困る。
それに、とても気になるのが、2億2,000枚の積み残しという話。これは、それぞれの局で機械の容量を超えた分を足し込んでいったらこうなったというだけの話であって、すべての局で積み残しが発生したとは言ってない。ということは、これは偏っていた可能性がある訳で、積み残しが大量発生したところは2〜3日以上放っておかれていた可能性があるということ。そう考えないと、出してもいない人から5日だ、6日だなんて日に来る訳がない。
ボクは、こういう現状を考えると、郵便局というのは民間事業者ではありえないくらいに、お客様の苦情というのを無視するところだなという気がする。ボクは、以前に友人から「客の苦情対応とかが面倒くさい。そういうのをやらなくていい仕事はないか」と言われて、迷わず「公務員」と言ったことがあったが、今ならそれに「郵政公社」を付け加えるだろう。
だいたい、郵便物を出そうとするときに、速達なんて名前をつけて、別料金を取っておきながら、「通常郵便とほぼ同じタイミングでしかつきません。しかも、場合によっては明日必着だとつかない可能性があるから、どうしても郵送ならば現地の近くの郵便局で出した方がいい。それがイヤなら、翌日に着かないことも了解して欲しい。」なんて、前日の朝に持って行っているのに、宅配業者が言うだろうか。
ボクはそれを聞いたときに、「じゃあ、速達って何?」と聞きたくなったし、近くなのに集配局が違うだけで翌日に届かない可能性があって、どうしてもというなら電車でその集配局に行って欲しいなんて、そんな言い分は、全く信じられない。まさに殿様商売というやつである。
郵政公社は、もっと民間事業者に近づくべきだとボクは思う。今のところ、みんなにバレていないから、それなりに信頼を得ているから、文句は出ていないが、その内実はかつての国鉄と変わらないのではないだろうか。そんなところはいち早く解体して、普通の会社にすべきだと思うし、そうあってこそ、お客様に対するサービスも向上するというものではないだろうか。
仕事をこなす能力のないものが、その仕事を独占する。これは、やる側にとっては仕事を有能なものに奪われなくて良い分、楽に違いないのであるが、頼むがわからしてみれば、本当に困った話である。ぜひとも、一日でも早く、有能な者に頼めるようにするか、仕事をきちんとこなせる程度に彼らの能力を高めるかして欲しいものだと、ボクは思う。
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東急ストア、不二家商品を撤去 [朝日新聞]
2007年1月13日 時事ニュース
01月13日付 朝日新聞の報道「東急ストア、不二家商品を撤去」へのコメント:
こういうのを読むと、「とうとうかぁ」という気がする。
日本人というのは、何となく行動することが多い。つまり、データをふまえて考えるといった、理性的な行動をするのではなく、何となく感情的にイメージで行動することが多いような気がする。だから、こういう問題が起きたとき、一部分のことであっても全体に広げて考えがちであるし、対応するとなったら、妙に徹底的にやりやすい。不二家の洋菓子が駄目となったら、売る方も買う方も、あらゆる不二家が駄目だという風になってしまう。これをひっくり返すと、昨今の納豆ブームや、ちょっと前の黒豆ココアブームなどにつながるのだろうが、この習性というのは、確かに怖い気がする。
これをおそれたために、不二家の幹部は隠し通すことにしたのだろうが、こうなってくると時間との勝負であろう。不二家の体力がどこまで続くか。つぶれるのが先か、みんなが忘れるのが先か。
ただ、不二家にとって厳しいのは、今回の事件でブランド力が落ちたことかもしれない。そもそも、不二家で高いケーキを買うのは、『不二家』のケーキだからであり、そうでなかったら、買わないかもしれない。
ところが、その不二家で買ったケーキが、賞味期限切れの牛乳や、リンゴで作られ、しかも、そこではネズミが走り回っていて、基準値の10倍の菌が検出されても出荷されるとしたら、これはもう買う気はしないだろう。
ブランドというのは、信頼の証であり、品質保証の機能も持っているのだ。これからしばらくは、不二家のケーキを買っていくと、「おい、期限切れじゃねぇのか」とか、「ネズミが食った後じゃねぇだろうなぁ」なんていう冗談がかわされることになるだろうが、そんなことを言われるケーキを買って、他人の家へ持って行くわけにはもういかない。これこそが、不二家にとっての最大のデメリットなのだろう。
今後、社長はどうしていくのだろうか。このまま株価が下がっていけば、もしかしたら外国ファンドとかが入ってくるかもしれない。または、他の会社が買おうとしてくるかもしれない。そういった中で、どのような決断をし、不二家という会社をどの方向に持って行くのか。これはまさに社長の経営手腕が問われているのであり、対応を誤ればつぶれかねないだけに、本当に注目してみていきたいと思う。
こういうのを読むと、「とうとうかぁ」という気がする。
日本人というのは、何となく行動することが多い。つまり、データをふまえて考えるといった、理性的な行動をするのではなく、何となく感情的にイメージで行動することが多いような気がする。だから、こういう問題が起きたとき、一部分のことであっても全体に広げて考えがちであるし、対応するとなったら、妙に徹底的にやりやすい。不二家の洋菓子が駄目となったら、売る方も買う方も、あらゆる不二家が駄目だという風になってしまう。これをひっくり返すと、昨今の納豆ブームや、ちょっと前の黒豆ココアブームなどにつながるのだろうが、この習性というのは、確かに怖い気がする。
これをおそれたために、不二家の幹部は隠し通すことにしたのだろうが、こうなってくると時間との勝負であろう。不二家の体力がどこまで続くか。つぶれるのが先か、みんなが忘れるのが先か。
ただ、不二家にとって厳しいのは、今回の事件でブランド力が落ちたことかもしれない。そもそも、不二家で高いケーキを買うのは、『不二家』のケーキだからであり、そうでなかったら、買わないかもしれない。
ところが、その不二家で買ったケーキが、賞味期限切れの牛乳や、リンゴで作られ、しかも、そこではネズミが走り回っていて、基準値の10倍の菌が検出されても出荷されるとしたら、これはもう買う気はしないだろう。
ブランドというのは、信頼の証であり、品質保証の機能も持っているのだ。これからしばらくは、不二家のケーキを買っていくと、「おい、期限切れじゃねぇのか」とか、「ネズミが食った後じゃねぇだろうなぁ」なんていう冗談がかわされることになるだろうが、そんなことを言われるケーキを買って、他人の家へ持って行くわけにはもういかない。これこそが、不二家にとっての最大のデメリットなのだろう。
今後、社長はどうしていくのだろうか。このまま株価が下がっていけば、もしかしたら外国ファンドとかが入ってくるかもしれない。または、他の会社が買おうとしてくるかもしれない。そういった中で、どのような決断をし、不二家という会社をどの方向に持って行くのか。これはまさに社長の経営手腕が問われているのであり、対応を誤ればつぶれかねないだけに、本当に注目してみていきたいと思う。
ノリ涙の退団「負けました」 [日刊スポーツ]
2007年1月13日 時事ニュース
01月13日付 日刊スポーツの報道「ノリ涙の退団「負けました」」へのコメント:
野球ファンじゃないんだけど、ネットのニュースで見れば見るほど、同情する気がなくなってくるのはなぜだろう。特に、交渉にあたって変な作戦を講じて、それが自分の首を絞めていっている様を見ていると、何となくだが彼らには誠意が感じられなく思う。
だいたい、推定年俸2億ももらっていながらほとんどケガで働きもせず、それでてゴチャゴチャ言うなんて、なんかボクなんかの感覚からすると、あまりに非常識に感じる。
だって、2億でしょ。それをケガで実質的にはそれ相応の働きをしなかったのに、今年は8,000万円でどうだと言われて、お話にならないとけっ飛ばしたわけでしょ。ボクなんかからすると、とりあえずは8,000万でも十分な金額だと思うんだよなぁ。で、実績を出す自信があるなら、あとは出来高部分をできるだけ大きくしてもらえばいいじゃない?固定部分が小さくたって、成果を出す自信がそれだけあるなら、そうすればいい。でも、そうじゃなくて、仕事はそんなにできないかもしれないけど、今までの他球団での成果を考慮して、固定給はしっかり出して欲しいというのでは、ちょっと納得できない。いてやるだけでありがたいと思えというのは、ちょっと思い上がった気持ちではないだろうか。ボクは、そんな無駄遣いをするならば、彼をさっさとクビにして、他の選手に振り分けてあげた方がいいと思うし、もっと苦しみながら頑張っている人とか、これからの若手とかに、たくさんあげてほしいと思う。
彼の「負けました」という発言は、きっと球団に負けたということをいいたいのだろう。しかし、ボクは負けた原因が茂木立とかいう弁護士にあると思うし、ひいてはその弁護士を雇った彼自身にあるのではないかと思う。言ってみれば、自滅である。
年末には、自由契約を求めていくなんて強気な報道がなされていたわけで、それが実現しそうになったら、自分は退団を申し入れていないなんて、ほんとにナンセンス。訳のわからない言い訳としか言いようがない。
それが示していることというのが、きっと茂木立弁護士と彼の意見・認識の相違であり、二人の間に存在した大きな溝だったのではないかと思う。
弁護士は、松阪の代理人がやったようなことをやりたかったのだろうとは思う。直前まで破談寸前のように見せかけて、ギリギリで妥協して最大の譲歩を引き出す。しかし、それを本当に破談にしてしまっては、全くの無能としか言いようがない。本来であれば8,000万円の年俸プラスアルファをもらえたはずなのに、それをゼロにしてしまい、しかも選手のイメージをダウンさせてしまったとあっては、本当にまともな仕事とは言えない。ましてや、本人は現役を続けたいのに、このまま引退となっては、まさに弁護士としては、無罪の犯人を有罪にしてしまうようなものではないだろうか。
茂木立弁護士は、今後もノリの代理人を続けるのかよく知らない。でも、続ける気があるのだとしたら、ぜひ自由契約になった後も上手に交渉をし、オリックス以上の条件で働ける場所を見つけてあげて欲しいと思う。それが、かの弁護士のノリに対するせめてもの罪滅ぼしではないだろうか。
野球ファンじゃないんだけど、ネットのニュースで見れば見るほど、同情する気がなくなってくるのはなぜだろう。特に、交渉にあたって変な作戦を講じて、それが自分の首を絞めていっている様を見ていると、何となくだが彼らには誠意が感じられなく思う。
だいたい、推定年俸2億ももらっていながらほとんどケガで働きもせず、それでてゴチャゴチャ言うなんて、なんかボクなんかの感覚からすると、あまりに非常識に感じる。
だって、2億でしょ。それをケガで実質的にはそれ相応の働きをしなかったのに、今年は8,000万円でどうだと言われて、お話にならないとけっ飛ばしたわけでしょ。ボクなんかからすると、とりあえずは8,000万でも十分な金額だと思うんだよなぁ。で、実績を出す自信があるなら、あとは出来高部分をできるだけ大きくしてもらえばいいじゃない?固定部分が小さくたって、成果を出す自信がそれだけあるなら、そうすればいい。でも、そうじゃなくて、仕事はそんなにできないかもしれないけど、今までの他球団での成果を考慮して、固定給はしっかり出して欲しいというのでは、ちょっと納得できない。いてやるだけでありがたいと思えというのは、ちょっと思い上がった気持ちではないだろうか。ボクは、そんな無駄遣いをするならば、彼をさっさとクビにして、他の選手に振り分けてあげた方がいいと思うし、もっと苦しみながら頑張っている人とか、これからの若手とかに、たくさんあげてほしいと思う。
彼の「負けました」という発言は、きっと球団に負けたということをいいたいのだろう。しかし、ボクは負けた原因が茂木立とかいう弁護士にあると思うし、ひいてはその弁護士を雇った彼自身にあるのではないかと思う。言ってみれば、自滅である。
年末には、自由契約を求めていくなんて強気な報道がなされていたわけで、それが実現しそうになったら、自分は退団を申し入れていないなんて、ほんとにナンセンス。訳のわからない言い訳としか言いようがない。
それが示していることというのが、きっと茂木立弁護士と彼の意見・認識の相違であり、二人の間に存在した大きな溝だったのではないかと思う。
弁護士は、松阪の代理人がやったようなことをやりたかったのだろうとは思う。直前まで破談寸前のように見せかけて、ギリギリで妥協して最大の譲歩を引き出す。しかし、それを本当に破談にしてしまっては、全くの無能としか言いようがない。本来であれば8,000万円の年俸プラスアルファをもらえたはずなのに、それをゼロにしてしまい、しかも選手のイメージをダウンさせてしまったとあっては、本当にまともな仕事とは言えない。ましてや、本人は現役を続けたいのに、このまま引退となっては、まさに弁護士としては、無罪の犯人を有罪にしてしまうようなものではないだろうか。
茂木立弁護士は、今後もノリの代理人を続けるのかよく知らない。でも、続ける気があるのだとしたら、ぜひ自由契約になった後も上手に交渉をし、オリックス以上の条件で働ける場所を見つけてあげて欲しいと思う。それが、かの弁護士のノリに対するせめてもの罪滅ぼしではないだろうか。