百貨店って……

2005年1月30日
 日本橋高島屋での出来事を機に、ふとデパートの存在意義について考えてしまった。結論から言うと、もうあまりないというのが正しいのではないかと思う。
 売り場に行っても正社員の店員はおらず、メーカーからの派遣社員ばかりで、自己のノルマを達成するための執拗な販売活動は得意でも、アフターサービスのような金にも成績にもならないようなことはやる気なし。また、仕事全般にやる気がないから、仕事中でも店員同士でおしゃべりに夢中だし、ときによっては通路を挟んで両側から大声で話している。その間をお客に通れと言うのだから、大したもんだ。
 それに今回の対応を考えてもそうだ。プレゼントで送られたものに対して、いつ、どの店舗で、いくらで買ったかを調べた上で、その店舗へ行かなくては対応しないという。これでは、同じ『高島屋』の看板を掲げる意味がない。明らかに高島屋で買ったとわかるように、『高島屋」の文字の入った箱に入り、『高島屋』の文字の入ったのしがついて、『高島屋』と入った包装紙に包まれ、『高島屋』の文字とマークの付いた紙袋に入ってプレゼントされたものであれば、同じ『高島屋』の商号を使って商売をしているのであり、同じ会社が経営をしているのであるから、そんなものはどの店舗であっても対応すべきであろう。何しろ、買い物をすればもらえるのは店員の領収書でも店舗の領収書でもなく、会社として受け取りましたということを示す領収書なのだから。

 これはきっと面倒だから早く追い返せということなのだろうと思うが、そんな対応しかできなくなった百貨店には、もう存在意義はないのではないかと思う。ただ建物を建て、ブランドショップに貸しているだけで、あとは責任はとりません、というのなら、それはデパートや百貨店である必要はなく、いわゆる駅ビルでもかまわない。いや、だからこそ、銀座はもうブランドショップが独自に店舗を構え始めているのかもしれない。何しろ、その方が建物から独自のブランドイメージをアピールできるから。
 ボクはかつて、百貨店業界の将来についてきかれたとき、その店員こそが財産であり、接客のうまさや商品知識のような部分を活かし、ものが豊富過ぎてどれを買ったらよいかもわからないような時代において、アドバイスをするようなイメージ、もっといえばネットショッピングなどにおいて、こんな服が欲しいとイメージをいうだけで、どのブランドのどんな服がいいかをアドバイスしてくれるようなイメージの商売をできれば、需要はあると思うし、デパートで買おうと思うのではないかと答えたことがある。しかし、最近のデパートを見る限りでは、もう店員の質が落ちてしまい、接客態度も悪く、働く意欲もなくなって、せいぜい売りつける意欲だけが旺盛な無責任な店員が増えている。もうすでに百貨店のイメージに伴う「信用」はなくなり、ただスーパーを外見だけちょっと整えたものになっている。同じようなパートのおばちゃんが売っているのだから仕方がないとしても、この堕落ぶりはなんだろう?この不親切なお店はなんでできてしまったのだろう?
 こんなお店がまだ残っているのは、きっとお客である我々がお店に対して甘いことの結果であろう。不親切なお店に対して、きちんとNoを突きつけられるようになれば、悪い店員は一掃され、良い店員が多く残るようになり、このような客を客とも思わないような百貨店が生まれることもないのではないか。ただ、これら店員の現状やこの時代の流れからすると、百貨店はたくさんのブランドの入った、ただの客寄せ用のきれいな箱としての価値しかもう持ち得ないのかもしれない。

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