04月27日付 朝日新聞の報道「運転士、無線に応答せず加速 尼崎・列車脱線事故」へのコメント:

 とても哀しい事故である。なんだかやりきれない事故である。電車に乗っていただけの人々が、突然不幸に見舞われる。
 運転手が悪いと責めることもできよう。でも、彼自身、非常に若く、その職場でも新人だった。自分が新人として職場に配属され、慣れない仕事に取り組んでいた頃のことを思い出すと、なんだか彼を責める気にもならない。

 彼が未熟だからいけないと責める人もいよう。このような結果になってしまった以上、それを否定することはできない。ただ、そういう人がいたとしたら、ボクはその人にきいてみたい。
 あなたが就職して一年目の時、または初めての職場に行って、今までとは全く違う仕事をすることになった時、あなたはそんなにうまくいきましたか、と。

 得体のわからぬものに責任を転嫁することは、よくないかもしれない。でも、ボクはふと、会社が悪いという気持ちにならざるを得なかった。人間がミスをしてしまったとき、それを厳しく処罰すればもうやらないと考える考え方。果たしてそれが正しいのか、それが問われている気がする。

 彼が無線に応答しなかった理由。それはボクにはわからないが、ボクが同じ立場だったら、もしかしたら同じようなことをしたかもしれない。
 やってしまった、という思いでいっぱいで、また怒られるということが頭の中を駆けめぐり、できるだけ怒られないようにと車掌さんに40mのオーバーランを8mと報告してもらえないか頼み、それでもなんとか自分のミスを挽回したくて、ギリギリのスピードでとばしていった。それは、マジメで、責任感が強いからこそやってしまったことであり、もし本当にいい加減な人間だったら、そんなミスは気にしなかっただろう。

 ミスを次からなくすために、厳罰に処して、もうこんな目にあいたくないと思わせることは、それはそれとしてミスを減らす方法なのかもしれない。しかし、今回はそれが逆に次の大きなミスを引き起こしてしまった可能性があることを考えると、新人が成長していく過程において引き起こしてしまうミスを多少は許容し、それをいかになくせるように育てていくか、ということに、もっと会社は気を配るべきだったのではないかと思わざるを得ない。

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