05月03日付 朝日新聞の報道「2運転士「現場逃亡」に遺族ら憤り JR西は会見で謝罪」へのコメント:

 脱線事故の際、たまたまその電車に二人のJRの運転士が乗り合わせ、その二人が救助活動を手伝わず、自分の職場に向かったことが非難されているらしい。
 でも、彼らを非難する人がいるとしたら筋違いだ。だって、考えてみて欲しい。JR西日本大阪支社において、今年最も重要なスローガンは「稼ぐ」なのである。だとしたら、金にもならない救助活動に加わるよりか、通常の乗務について、列車の定時運行に貢献する方が、それは正しい行動ということになるだろう。何しろ、死にそうな人やケガ人なんて、いくら助けてみたところで、「稼ぐ」ことにはならないのであり、自らが乗る予定であった列車にきちんと乗務して、1秒単位の狂いもなく定時運行させた方が、それは「稼ぐ」ことにつながるのである。
 そういう意味において、JR西日本は会社の方針にあくまでも忠実であった二人の運転士に対して、よくぞ会社の方針を守ってくれたと褒めることはできたとしても、処罰などをできる立場にはないと考えるべきだろう。そして、もしも二人の行動が人間として間違っているとすれば、それはそのような行動を強制した会社や、その責任者が責めを負うべきであり、当の本人たちは責められる筋合いにはないと思う。

 JR西日本の体質が非常に取り上げられているが、ふと立ち返ってみると、自分の会社も似たようなものであるのではないか、という疑念がわいてくる。リストラの名の下に人員は減らされ、以前と比べると少ない人数で同じ量の仕事をさせられる。しかも、それをサービス残業や自宅での持ち帰り仕事で乗り切ると、今度はこの人数でここまでできるなら、もっとできるはずだ、とか言い出す。それでいて、情報流出が問題になると家に仕事を持ち帰るな、と言い、労基署がうるさいからとサービス残業禁止令が出て、10時以降は強制的に職場を退去させられ、きちんとセコムなどに退出の記録が残されていないと責任者が注意される。そんな状況はどこにでもあるのではないかと思われる。
 利益中心の体質が問題だと責めるのはわかるのだが、自分たちの会社もそうではないかと考えてみると、なんだか日本全体がそうなってきてしまったのではないかという気がしてくる。そういう意味においては、日本という国全体のゆがみが、あそこには現れているのであり、JRの経営陣について特別に問題があったという訳ではないのではないかという気がするのだが、これはJRの経営陣に甘すぎる意見なのであろうか?

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