ISBN:4061824449 新書 蘇部 健一 講談社 2005/10 ¥840
「六枚のとんかつ」の第2弾が出た。この作家については賛否両論、昔から様々な意見があるわけだが、どちらかというと擁護派のボクは、発売されるとさっそく買ってみた。
結論から言えば、駄作。久しぶりにブックオフ行きの作品である。
このように書くと、否定派の人は「当たり前じゃないか」と言われるかもしれないが、ボクの書棚には「六枚のとんかつ」も「動かぬ証拠」も「木乃伊男」も並んでいる。つまり、どちらかというとファンに近い。でも、この本については、さすがにいただけないと感じた。
ボクは読んでいて、なんでこんなものを書いてしまったのかなぁと思った。しかし、その疑問に対する解答はあとがきを読んで、何となくわかったような気がした。思うに、彼は自分の作品に自信がなく、また自分の作風が嫌いなのである。きっとその原因は、たくさんの人から非難されたことに由来するのであろう。それで、彼はきっとこの方向性が間違っていると感じてしまったに違いない。
ボクがこの本を駄作と呼ぶ理由はいくつかある。
まず第一に、各作品にイラストが入っているのだが、その必要性に乏しい作品が多いこと。言い換えれば、イラストを入れたいので無理に入れたという作品がほとんどで、なければないで作品が成立するものがほとんどであったということである。一般的にはこれを本末転倒というのであり、かつての「動かぬ証拠」などは、まさにイラストが作品の一部としてうまく組み込まれていただけに、同じ作者の作品としては失望を禁じ得ない。
また第二には、アホバカミステリーを捨てて、妙にきれいな話を書きたがっていることである。この作者の持ち味は、そんなバカなと言いたくなるような、他のミステリー作家なら決して書かないトリックを平気で書くような、そういうハジケッぷりにあると思う。しかし、彼はストーリーテラーになりたいらしく、きれいなストーリーを良しとしているようだ。ただ残念ながら、彼の文章力も、ストーリーの構成力も、トリックの発想力も、それを許してはくれない。はっきり言って、彼のそっちの方の能力はそれほど高くないのである。だから、そちらで勝負をしようとすると、もっと上手な人がいくらでもいるために、むしろアラばかりが目立ってしまう。彼は自分の強みで勝負すべきであり、他の人たちと同じ土俵で勝負すべき人ではなかったのに、あえて同じ土俵にのぼろうとしているのである。これでは勝負など目に見えている。
そして、第三には、話の最初に引用されている文章の存在である。まるで誰かさんのように、短編の一編一編について最初に本の一節などが引用されているのだが、それがどう効果的なのかボクにはよくわからなかった。ただ、格好良かったから真似てみただけなのか、それとも創作的な理由があったのか、理由はよくわからない。ただ、このような形式をこよなく愛する作家として、誰かさんの名前がすぐに浮かんでしまい、しかも彼のシリーズもボクの書棚には全作並んでいるということもあって、どうせやるならそれを茶化すようなやり方でやるか、さもなければ「どこから見つけてきたんだ」と言いたくなるような、トンでも本からのトンでも言葉を使って欲しいと考えてしまい、まじめに引用された各章の引用文については、本文のおふざけぶりもあって、妙な中途半端さを感じ、興ざめした。
長々と書いてきたのだが、最終的にボクが言いたいことは簡単である。
「己を知れ!」
己を知り、敵を知れば、百戦も危うくはならないのである。自分に欠けているところは、それをきちんと認識した上でそれを受け入れ、自分の強みについては、それを伸ばすようにして欲しい。本当に才能にあふれているのであれば、確かにメインストリートで勝負することもできるだろうが、そうでないならば誰も目を付けていないところで、その分野の第一人者になるというのもありなのである。ぜひとも、この作者には、もう一度自分を見つめ直し、自分の方向性をいうものを考え直して欲しいものである。
「六枚のとんかつ」の第2弾が出た。この作家については賛否両論、昔から様々な意見があるわけだが、どちらかというと擁護派のボクは、発売されるとさっそく買ってみた。
結論から言えば、駄作。久しぶりにブックオフ行きの作品である。
このように書くと、否定派の人は「当たり前じゃないか」と言われるかもしれないが、ボクの書棚には「六枚のとんかつ」も「動かぬ証拠」も「木乃伊男」も並んでいる。つまり、どちらかというとファンに近い。でも、この本については、さすがにいただけないと感じた。
ボクは読んでいて、なんでこんなものを書いてしまったのかなぁと思った。しかし、その疑問に対する解答はあとがきを読んで、何となくわかったような気がした。思うに、彼は自分の作品に自信がなく、また自分の作風が嫌いなのである。きっとその原因は、たくさんの人から非難されたことに由来するのであろう。それで、彼はきっとこの方向性が間違っていると感じてしまったに違いない。
ボクがこの本を駄作と呼ぶ理由はいくつかある。
まず第一に、各作品にイラストが入っているのだが、その必要性に乏しい作品が多いこと。言い換えれば、イラストを入れたいので無理に入れたという作品がほとんどで、なければないで作品が成立するものがほとんどであったということである。一般的にはこれを本末転倒というのであり、かつての「動かぬ証拠」などは、まさにイラストが作品の一部としてうまく組み込まれていただけに、同じ作者の作品としては失望を禁じ得ない。
また第二には、アホバカミステリーを捨てて、妙にきれいな話を書きたがっていることである。この作者の持ち味は、そんなバカなと言いたくなるような、他のミステリー作家なら決して書かないトリックを平気で書くような、そういうハジケッぷりにあると思う。しかし、彼はストーリーテラーになりたいらしく、きれいなストーリーを良しとしているようだ。ただ残念ながら、彼の文章力も、ストーリーの構成力も、トリックの発想力も、それを許してはくれない。はっきり言って、彼のそっちの方の能力はそれほど高くないのである。だから、そちらで勝負をしようとすると、もっと上手な人がいくらでもいるために、むしろアラばかりが目立ってしまう。彼は自分の強みで勝負すべきであり、他の人たちと同じ土俵で勝負すべき人ではなかったのに、あえて同じ土俵にのぼろうとしているのである。これでは勝負など目に見えている。
そして、第三には、話の最初に引用されている文章の存在である。まるで誰かさんのように、短編の一編一編について最初に本の一節などが引用されているのだが、それがどう効果的なのかボクにはよくわからなかった。ただ、格好良かったから真似てみただけなのか、それとも創作的な理由があったのか、理由はよくわからない。ただ、このような形式をこよなく愛する作家として、誰かさんの名前がすぐに浮かんでしまい、しかも彼のシリーズもボクの書棚には全作並んでいるということもあって、どうせやるならそれを茶化すようなやり方でやるか、さもなければ「どこから見つけてきたんだ」と言いたくなるような、トンでも本からのトンでも言葉を使って欲しいと考えてしまい、まじめに引用された各章の引用文については、本文のおふざけぶりもあって、妙な中途半端さを感じ、興ざめした。
長々と書いてきたのだが、最終的にボクが言いたいことは簡単である。
「己を知れ!」
己を知り、敵を知れば、百戦も危うくはならないのである。自分に欠けているところは、それをきちんと認識した上でそれを受け入れ、自分の強みについては、それを伸ばすようにして欲しい。本当に才能にあふれているのであれば、確かにメインストリートで勝負することもできるだろうが、そうでないならば誰も目を付けていないところで、その分野の第一人者になるというのもありなのである。ぜひとも、この作者には、もう一度自分を見つめ直し、自分の方向性をいうものを考え直して欲しいものである。
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