01月11日付 朝日新聞の報道「DJ OZMAがNHKに謝罪 「紅白」演出めぐり」へのコメント:

 謝罪をしたというのは、やはりそうでもしないと収まらないからなのだろうか。それにしても、なんというか、NHKには失望させられる事件であった。

 失望したというのは、別にこのような演出を許したことではない。むしろ、その後の対応として、知らぬ存ぜぬを貫き通し、すべてをDJ OZMAの責任となすりつけてしまったことである。普通、生放送であろうとなんであろうと、最終的な責任は放送局なり、現場プロデューサーなりにあるはずである。しかし、どうもNHKの釈明には当事者感が乏しく、むしろ被害者づらをしているかのようにさえ思えた。これは、どう考えてもおかしい。

 そもそも、ボクが見ていておかしいと感じたのは、NHKの言い分と、世の中の批判とが、微妙にズレている点である。というのは、世の中的には裸のように見えるボディスーツ自体が問題となっているのに対し、NHKの釈明はリハーサルとの違いだけであった。しかも、その違いというのは、パンツまで脱いで、あのキノコのようなものを出したという点のことであるらしい。だとしたら、ボディスーツ自体は知っていたということになり、世の中の批判の対象となっている部分については、責任を負うべきことになろう。
 しかし、NHKはより過激にした部分だけを取り上げて問題視し、ボディスーツはリハーサル段階から知っていたことをごまかしている。そして、悪かった部分はすべてOZMAの責任としてしまって、自分はOZMAの暴走の被害者であるかのようなスタンスを取っている。これは、あまりにも彼がかわいそうだと思う。

 彼だって、よかれと思ってやったのだろう。より多くのお客さんに喜んでもらいたい。より注目を集めて、視聴率を取ってやりたい。そういう思いから、彼だってやったに違いない。それは、ひいてはNHKのためでもあったはずだ。しかし、問題となったとき、NHKは彼をかばってはあげなかった。むしろ、すべての責任を彼に負わせてしまった。これはいかがなものだろうか。これを他の企業がやったら、報道関係者はけしからんと怒るのではないだろうか。

 「秘書がやりました」

 「現場が勝手にやりまして、報告はありませんでした」

 今までにも非常に聞き飽きたようなセリフであるが、その構造は今回のNHKの釈明も同じであると思う。他人に厳しく、自分に甘いのは、テレビ局をはじめとする報道関係にはありがちなところであるが、今後は是非自分に対しても厳しいNHKとなり、彼のような人をかばってあげられる、骨太な組織になってほしいと思う。

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