松本零士VS槇原 「盗作」騒動結局うやむやで終結?
2007年1月17日 時事ニュース J-CASTニュースによると、こういったことになったらしい。
ボクが最初この件を聞いたとき、そりゃあ、槇原が昔に聞いたことがあって、それを忘れたまま歌詞にしちゃったんじゃないかと思った。きっと槇原本人も、最初はそう思ったんだろう。だから、一度は聞いたかもしれないと認めたのだ。
しかし、よくよく聞いてみると、全然話は違った。なんと、銀河鉄道999といっても、第2部の方らしい。今はなき、ビックコミックゴールドで鳴り物入りで連載され、廃刊とともに放置されている、あの第2部での言葉らしい。
これを聞いたとき、正直ボクは、絶対に槇原は見てないと思った。というのは、この第2部、ほとんどたいした反響もなく終わってしまっているからである。いや、終わっているというのは正しくない。何しろ、途中で廃刊になったから、話の途中で途切れたままなのだ。これは、宇宙戦艦ヤマトの著作権裁判で負けて、勝手にヤマトを描けなくなっている彼が、あえて描いた大ヤマト零号と同じ状況である。
つまり、松本零士は槇原の歌詞が、銀河鉄道999の続編の一節と一致すると言っているわけであって、あの大人気アニメ、銀河鉄道999の一節と言っているわけではないのである。
これは他の例にたとえるなら、仮面ライダーの主人公が言った有名なセリフであると言われて、「そりゃあ、子供の頃に見たのを気づかずに書いたかも」と思っていたら、今やっている仮面ライダーカブトのセリフだと言われたのと同じである。
確かに、一部の人にとっては有名なのかもしれないが、一般人は見てないし、ハッキリ言ってよく知らない。それを、過去の名声を笠に着て、今の作品も有名だと言わんばかりに主張するのは、ちょっと恥ずかしい。
そういう意味では、松本零士の主張は、なんだか見ていて痛々しかったし、こんなことを言わざるをえないようになってきたのかなぁと言う気がした。
なんだかいろいろとやっていながらも、なかなかうまくいかない松本零士先生。銀河鉄道物語も、フジテレビからTBSに移って、深夜の時間帯ながら放送されているようであるから、それでなんとかお金を稼いでいただいて、変な言いがかりをつけるような形で、ご自身の過去の名声をも傷つけるような行為は辞めていただきたい。そんな風に、かつての銀河鉄道999のファンとしては、強く思う。
ボクが最初この件を聞いたとき、そりゃあ、槇原が昔に聞いたことがあって、それを忘れたまま歌詞にしちゃったんじゃないかと思った。きっと槇原本人も、最初はそう思ったんだろう。だから、一度は聞いたかもしれないと認めたのだ。
しかし、よくよく聞いてみると、全然話は違った。なんと、銀河鉄道999といっても、第2部の方らしい。今はなき、ビックコミックゴールドで鳴り物入りで連載され、廃刊とともに放置されている、あの第2部での言葉らしい。
これを聞いたとき、正直ボクは、絶対に槇原は見てないと思った。というのは、この第2部、ほとんどたいした反響もなく終わってしまっているからである。いや、終わっているというのは正しくない。何しろ、途中で廃刊になったから、話の途中で途切れたままなのだ。これは、宇宙戦艦ヤマトの著作権裁判で負けて、勝手にヤマトを描けなくなっている彼が、あえて描いた大ヤマト零号と同じ状況である。
つまり、松本零士は槇原の歌詞が、銀河鉄道999の続編の一節と一致すると言っているわけであって、あの大人気アニメ、銀河鉄道999の一節と言っているわけではないのである。
これは他の例にたとえるなら、仮面ライダーの主人公が言った有名なセリフであると言われて、「そりゃあ、子供の頃に見たのを気づかずに書いたかも」と思っていたら、今やっている仮面ライダーカブトのセリフだと言われたのと同じである。
確かに、一部の人にとっては有名なのかもしれないが、一般人は見てないし、ハッキリ言ってよく知らない。それを、過去の名声を笠に着て、今の作品も有名だと言わんばかりに主張するのは、ちょっと恥ずかしい。
そういう意味では、松本零士の主張は、なんだか見ていて痛々しかったし、こんなことを言わざるをえないようになってきたのかなぁと言う気がした。
なんだかいろいろとやっていながらも、なかなかうまくいかない松本零士先生。銀河鉄道物語も、フジテレビからTBSに移って、深夜の時間帯ながら放送されているようであるから、それでなんとかお金を稼いでいただいて、変な言いがかりをつけるような形で、ご自身の過去の名声をも傷つけるような行為は辞めていただきたい。そんな風に、かつての銀河鉄道999のファンとしては、強く思う。
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