04月10日付 朝日新聞の報道「学生自殺で高崎経済大准教授、懲戒免職」へのコメント:

 なんか、とてもかわいそうな話だ。

 ゼミの先生が課題を出して、提出してこない学生に、提出しなければ留年だというメールを送った。そうしたら、それを見た女子学生が、自殺をほのめかしているともとれるメールを出して、自殺した。その一連の指導に問題があったとして、担当の准教授は懲戒免職になった。

 こういった話を聞くと、自殺した女子学生がかわいそうだと思うのが通常なのだろうか。でも、ボクはそうではない。絶対にかわいそうなのは、准教授である。何しろ、彼は当たり前のことを言ったに過ぎないのだから。

 締め切り日までに課題を出さなければ留年にする。これの何がおかしいのだろうか。今回は課題だったから、こういう表現になっているが、これが試験で評価する科目ならばこうなる。

 「試験当日に試験を受けなければ、留年とする」

 これって、当たり前じゃないですか?それこそ、スポーツ推薦で入ってきた野球部の学生だって、一応試験日には現れて、何か適当に書いたりして、それで提出したって体裁は整えて、単位をもらうわけでしょ。まあ、いろいろなパターンはあるでしょうけど。
 大体、社会人になってからだって、決められた日にちまでに必要書類を作っていなかったら大問題でしょう。普通はみんな徹夜をしてでも、とりあえず完璧とは言えなくたって、それっぽい書類を作って出すもんでしょ。それを全く出さないっていう選択をするっていうのは理解できないし、ましてや自殺するなんておかしい。
 准教授がもらったメールの内容だって、別に自殺すると書いている訳じゃないんだから、相手が自殺するなんてこれっぽっちも考えていない段階で読んだら、「提出はあきらめて留年します」というメールかと思って読み飛ばしちゃうかもしれない。今の僕たちは結果を知っているから、自殺メールだと思うけど、そうとは知らない段階で読んだら、別にそれほどの内容を含んでいるとは思わないかもしれない。今の時代、訳のわからないDMも含めて、たくさんのメールが来るから、それを流し読みしている段階では、それほどのことと認識しない可能性は十分にあると思う。
 そんな風に考えると、自殺という結果を招いたことは確かに問題なのだが、そのような自殺者が出たということだけで大騒ぎをして、それで先生をクビにしちゃうというのは、それはそれで問題だと思う。事なかれ主義の招いた結果なのか。それとも、自殺した学生の親が強かったのか、知らないが、これくらいのことで懲戒免職はやりすぎな気がする。

 このところ、自殺をすれば正義になる風潮がある。それで、自殺したものをかばってやることで、自らは正しいことをしたような気になっているのだろうが、ボクはそれは違うと思う。
 自殺をすれば正義になるのならば、自らを正当化したい者は、自殺という選択肢を選ぶだろう。しかし、本当はその選択肢を選ばせないことが重要なはずである。その選択肢が最善の選択肢でないことを知らせること。それが重要なはずである。しかし、自分でどうにかしようと思わない人にとって、手っ取り早く自己を正当化する手段が自殺であるということにしてしまっては、それはいじめられた子供だって、自殺という選択肢がすぐに頭に思い浮かぶようになるだろう。それではいけないのだ。
 きっと、この事件の続報は、もう社会には現れてこないのだろうが、この准教授には頑張って次の職場を探してもらって、今度こそは、「課題を出さなければ留年」という当たり前のことをいってもクビにならないようなまともな大学で、先生として活躍して欲しいと思う。

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