「定例会見は必要ですか?」 東国原知事が会見で逆質問 [朝日新聞]
2007年4月16日 時事ニュース
04月16日付 朝日新聞の報道「「定例会見は必要ですか?」 東国原知事が会見で逆質問」へのコメント:
テレビで見たが、面白い!
ああいう風に、誰もが疑問を持たないできたことを、あらためて問うてみるという姿勢はいいと思う。当たり前に必要だと思われていることに、「本当に必要なんですか?」と疑問を投げかける。それは意外とできないことだ。
そりゃあ、マスコミの人たちは、定例会見に出ることで飯を食ってるわけですし、報道というのは国民の知る権利に資する重要な仕事だ、なんて、息巻いているわけですから、不要だなんて言えるわけがない。
でも、確かに彼も言っていたように、定例会見でなければ知事の意見が聞けないというのならともかく、毎日ぶら下がりの記者がいて、意見を聞いてくるような現状では、あえて定例会見という場を設けるまでもないのではないかという彼の疑問は、あって当然とも言えよう。
石原さんが週に一回やっているということを、ニュースでは対比的に出していた。ただ、ボクもたまに石原さんの定例会見はMXテレビで見るのだが、あそこで出る質問は、何か社会で起こった出来事に対して意見を求める質問が多いように感じる。
先日起こった事件について、知事はどのように考えますか。とかいうような質問が意外と多くて、それが殺人事件だったり、政治的な出来事だったり、経済ニュースだったりする。これは、どこの知事の定例会見でも同じなのだろう。だからこそ、東国原知事は、あのような発言をしたのではないか。つまり、彼が言いたいのは、そういう質問は普段から歩いているときとかにしていて、それについて答えているんだから、そんな質問をあらためてする場を設ける必要はないんじゃないですか、ということだったのだろう。
ただ、今回の件について問題があるとすれば、定例会見の重要性を彼が見誤っているところにあるような気がする。彼は、何もないときの平時における定例会見を無駄であると見なした。実際、それは時間の無駄としか言えないような、退屈なやりとりなのだろう。しかし、定例会見の重要性が発揮されるのは、当然平時ではない。問題発生時である。問題発生時に逃げようとする知事を記者会見場に引きずり出す。そこに一つの意義があるはずである。だとしたら、知事の判断で行わないなどという前例は作るべきではないし、定例ではなくすという判断も、あまり正しい判断とは言い難いものとなりうるだろう。
また、お役人の書いた文章を発表する場というのも、やはり必要なものである。こんなくだらないニューズと思うかもしれないが、それをやることがまた仕事だったりもするのだ。そういういろいろな立場の人のことも考えて、新知事さんには太っ腹な行動も心がけて欲しいと思う。
テレビで見たが、面白い!
ああいう風に、誰もが疑問を持たないできたことを、あらためて問うてみるという姿勢はいいと思う。当たり前に必要だと思われていることに、「本当に必要なんですか?」と疑問を投げかける。それは意外とできないことだ。
そりゃあ、マスコミの人たちは、定例会見に出ることで飯を食ってるわけですし、報道というのは国民の知る権利に資する重要な仕事だ、なんて、息巻いているわけですから、不要だなんて言えるわけがない。
でも、確かに彼も言っていたように、定例会見でなければ知事の意見が聞けないというのならともかく、毎日ぶら下がりの記者がいて、意見を聞いてくるような現状では、あえて定例会見という場を設けるまでもないのではないかという彼の疑問は、あって当然とも言えよう。
石原さんが週に一回やっているということを、ニュースでは対比的に出していた。ただ、ボクもたまに石原さんの定例会見はMXテレビで見るのだが、あそこで出る質問は、何か社会で起こった出来事に対して意見を求める質問が多いように感じる。
先日起こった事件について、知事はどのように考えますか。とかいうような質問が意外と多くて、それが殺人事件だったり、政治的な出来事だったり、経済ニュースだったりする。これは、どこの知事の定例会見でも同じなのだろう。だからこそ、東国原知事は、あのような発言をしたのではないか。つまり、彼が言いたいのは、そういう質問は普段から歩いているときとかにしていて、それについて答えているんだから、そんな質問をあらためてする場を設ける必要はないんじゃないですか、ということだったのだろう。
ただ、今回の件について問題があるとすれば、定例会見の重要性を彼が見誤っているところにあるような気がする。彼は、何もないときの平時における定例会見を無駄であると見なした。実際、それは時間の無駄としか言えないような、退屈なやりとりなのだろう。しかし、定例会見の重要性が発揮されるのは、当然平時ではない。問題発生時である。問題発生時に逃げようとする知事を記者会見場に引きずり出す。そこに一つの意義があるはずである。だとしたら、知事の判断で行わないなどという前例は作るべきではないし、定例ではなくすという判断も、あまり正しい判断とは言い難いものとなりうるだろう。
また、お役人の書いた文章を発表する場というのも、やはり必要なものである。こんなくだらないニューズと思うかもしれないが、それをやることがまた仕事だったりもするのだ。そういういろいろな立場の人のことも考えて、新知事さんには太っ腹な行動も心がけて欲しいと思う。
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