桃次郎の冒険
2004年11月23日 教育テレビで午前中にやっていた劇団四季の『桃次郎の冒険』を見た。子供向けというだけあって、ストーリー的には単純だが、昔から童話や昔話が大好きなボクにとってはなかなか楽しめるストーリーだった。
基本的な筋としては、鬼は別に悪いヤツではなく、桃太郎がやったことは単なる強盗で、おじいさんとおばあさんはただの欲深い人間だったりするのではないかということである。きっと、その発想の元には、この昔話が史実に基づいているのではないかと言う考え方が根底にあると思われるが、そういう意味では非常に同感であり、共感することができた。
勝者から語られる物語には、必ずしも史実とは言えない、曲げられた事実が含まれていることが多い。そのことを考えてみる時、ボクは他人が語る言葉というものの真実性を、再度考えざるを得ない。あまり疑ってかかっても、なんだか世知辛くなってしまうのでイヤなのだが、でもだからとそのまま受け入れているわけにもいかないのである。
本当の桃次郎の冒険は、鬼も人間も同じなんだ。分かりあえるんだということを、『すももも ももも』という歌に託し、「すももも ももも もものうち」なんだということで相互理解の大切さを訴える話である。しかし、ボクはそんな話を見ていながら、なんと作者の意図とは全く反対のことを考えてしまった。そういう意味では、きっとボクはもう既に少年の心を失ってしまったのであろう。残念!!
基本的な筋としては、鬼は別に悪いヤツではなく、桃太郎がやったことは単なる強盗で、おじいさんとおばあさんはただの欲深い人間だったりするのではないかということである。きっと、その発想の元には、この昔話が史実に基づいているのではないかと言う考え方が根底にあると思われるが、そういう意味では非常に同感であり、共感することができた。
勝者から語られる物語には、必ずしも史実とは言えない、曲げられた事実が含まれていることが多い。そのことを考えてみる時、ボクは他人が語る言葉というものの真実性を、再度考えざるを得ない。あまり疑ってかかっても、なんだか世知辛くなってしまうのでイヤなのだが、でもだからとそのまま受け入れているわけにもいかないのである。
本当の桃次郎の冒険は、鬼も人間も同じなんだ。分かりあえるんだということを、『すももも ももも』という歌に託し、「すももも ももも もものうち」なんだということで相互理解の大切さを訴える話である。しかし、ボクはそんな話を見ていながら、なんと作者の意図とは全く反対のことを考えてしまった。そういう意味では、きっとボクはもう既に少年の心を失ってしまったのであろう。残念!!
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ISBN:4198921393 文庫 北森 鴻 徳間書店 2004/10 ¥560
この人の本は初めて買ったと思う。たまたま本屋に平積みになっていて、ちょっと面白そうだと思ったので買ったのだが、この人の作風が全てがこのようなものであるとすれば、ボクには彼の作品は合わなかったということになるのだろうと思う。
何が合わなかったかというと、全体としてのネタは興味深いし、描かれている個々の短編の内容も、よく調べられていて面白く読めた。でも、登場人物に面白みがないのである。
鯨統一郎という人の作品に『邪馬台国はどこですか』という作品がある。あれも歴史の真実をそれっぽく語るという意味で、歴史ミステリーとでもいうジャンルがあるとすれば、この作品とある種共通する作品になると思われるのであるが、大きな違いがあるとすれば、あちらは登場人物が面白く、その個性が光っていることであろうと思う。
それに対して、こちらでは本当に普通の人たちが描かれている。それが意図的であるとしたら、それはそれできちんと描けているという意味では良いのかもしれないが、少なくともボクにとっては面白くない。むしろ、女子高生は女子高生らしく、その登場の背景などもそれっぽく書くと面白かったと思うし、最初に作者が描くときの視点として利用している書店の店員にしても、もうちょっと彼のキャラクターがあっても良かったと思う。
そろそろ書きすぎているような気もするので結論に入ると、登場人物のキャラが薄く、しかも一つ一つの話にいろいろなことを詰め込みすぎて、面白さが半減している。元々のアイディアなどはとても良いと思えるだけに、もっと読ませる努力というのをして欲しいと思う。
この人の本は初めて買ったと思う。たまたま本屋に平積みになっていて、ちょっと面白そうだと思ったので買ったのだが、この人の作風が全てがこのようなものであるとすれば、ボクには彼の作品は合わなかったということになるのだろうと思う。
何が合わなかったかというと、全体としてのネタは興味深いし、描かれている個々の短編の内容も、よく調べられていて面白く読めた。でも、登場人物に面白みがないのである。
鯨統一郎という人の作品に『邪馬台国はどこですか』という作品がある。あれも歴史の真実をそれっぽく語るという意味で、歴史ミステリーとでもいうジャンルがあるとすれば、この作品とある種共通する作品になると思われるのであるが、大きな違いがあるとすれば、あちらは登場人物が面白く、その個性が光っていることであろうと思う。
それに対して、こちらでは本当に普通の人たちが描かれている。それが意図的であるとしたら、それはそれできちんと描けているという意味では良いのかもしれないが、少なくともボクにとっては面白くない。むしろ、女子高生は女子高生らしく、その登場の背景などもそれっぽく書くと面白かったと思うし、最初に作者が描くときの視点として利用している書店の店員にしても、もうちょっと彼のキャラクターがあっても良かったと思う。
そろそろ書きすぎているような気もするので結論に入ると、登場人物のキャラが薄く、しかも一つ一つの話にいろいろなことを詰め込みすぎて、面白さが半減している。元々のアイディアなどはとても良いと思えるだけに、もっと読ませる努力というのをして欲しいと思う。
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見てしまった。
あの映像を見てしまった。
途中からはボーッと見ていた。
そして、思った。
「人形みたい」
そして、切り取られた血まみれの首を見たとき初めて思った。
「気持ち悪い」
何とも寝る前にこんな映像を見てしまうとは寝付きが悪い。
そして、今まで自分が考えていた自己責任論が、非常に大きな同情に変わるのを感じた。
でも、それでも、ボクはどこかで彼の甘さを感じていた。
一つには、彼の首を切る人が全くためらわなかったこと。
もう一つには、彼の首を切る人が非常に手際よく切り取ったこと。
ボクは首を切られるといったとき、日本の切腹でいう介錯人のイメージでいた。
後ろから日本刀でバサッと切り捨てる、あのイメージである。
しかし、実際は違った。
フトコロから出した小さいナイフで首を切り始め、ドバドバと吹き出す血なんて気にもせず、サクサクと首を切り取った。
本当に、ただのナイフで、ザク、ザク、ザクと切り取っていったのである。
まるで豚や熊の解体でもするように。
きっと彼は性善説の人だったのだろう。
まさかためらいもなく、ああいうことができる人間がいるなんて思わなかったのだろう。何しろ、イラクで知り合った人の家に泊めてもらえばいいとか言っていたくらいの人なんだから。
ボクも実はどちらかというと性善説の人である。
正しくは、白紙説なのだが、白紙説は最初人間はまっさらだという考え方から始まることを考えると、性悪説より性善説に近い。
そうなると、結構ボクも同じ間違いを違う場面で犯すような気がしてくる。
あの場面において、1万円やそこらで行くというのはハッキリ言って無謀だ。
少なくとも、もう少しお金を持っていって、身を守るなり、早く脱出するなり、何か想定外のことがあったときに、何らかの手段をとることができるようにしておくべきだ。
ただ、あの映像を見てからは、ちょっと考え方が変わった。
性善説とリスク管理は別次元の話であるという意見もあるだろう。
しかし、リスク管理というものが、周りを疑うことから始まることを考えると、それはまさに性悪説からの帰結であり、性悪説的な発想からでなくては生まれ得ないであろう。
してみると、彼は世界各地を旅する中で、人の優しさ・暖かさを知り、人を信じることを知ったのだとすると、それがあだになったことになる。
では、それでいいのか。
それを責めることだけでいいのか。
正論としては、イラクの現状をふまえて考えれば、理論的にも無謀な行為として切り捨てることもできるのであろうが、ボクはその甘さも含めて人間なのだという気がしている。
そして、彼もまた人間であったからこそ、あのような判断を行ってしまったのであり、同じ人間であるからこそ、その甘さを非難したくなるのではないか。
そんなことを、あの映像を見ながら、彼に自分を重ね見て思ってしまった。
あの映像を見てしまった。
途中からはボーッと見ていた。
そして、思った。
「人形みたい」
そして、切り取られた血まみれの首を見たとき初めて思った。
「気持ち悪い」
何とも寝る前にこんな映像を見てしまうとは寝付きが悪い。
そして、今まで自分が考えていた自己責任論が、非常に大きな同情に変わるのを感じた。
でも、それでも、ボクはどこかで彼の甘さを感じていた。
一つには、彼の首を切る人が全くためらわなかったこと。
もう一つには、彼の首を切る人が非常に手際よく切り取ったこと。
ボクは首を切られるといったとき、日本の切腹でいう介錯人のイメージでいた。
後ろから日本刀でバサッと切り捨てる、あのイメージである。
しかし、実際は違った。
フトコロから出した小さいナイフで首を切り始め、ドバドバと吹き出す血なんて気にもせず、サクサクと首を切り取った。
本当に、ただのナイフで、ザク、ザク、ザクと切り取っていったのである。
まるで豚や熊の解体でもするように。
きっと彼は性善説の人だったのだろう。
まさかためらいもなく、ああいうことができる人間がいるなんて思わなかったのだろう。何しろ、イラクで知り合った人の家に泊めてもらえばいいとか言っていたくらいの人なんだから。
ボクも実はどちらかというと性善説の人である。
正しくは、白紙説なのだが、白紙説は最初人間はまっさらだという考え方から始まることを考えると、性悪説より性善説に近い。
そうなると、結構ボクも同じ間違いを違う場面で犯すような気がしてくる。
あの場面において、1万円やそこらで行くというのはハッキリ言って無謀だ。
少なくとも、もう少しお金を持っていって、身を守るなり、早く脱出するなり、何か想定外のことがあったときに、何らかの手段をとることができるようにしておくべきだ。
ただ、あの映像を見てからは、ちょっと考え方が変わった。
性善説とリスク管理は別次元の話であるという意見もあるだろう。
しかし、リスク管理というものが、周りを疑うことから始まることを考えると、それはまさに性悪説からの帰結であり、性悪説的な発想からでなくては生まれ得ないであろう。
してみると、彼は世界各地を旅する中で、人の優しさ・暖かさを知り、人を信じることを知ったのだとすると、それがあだになったことになる。
では、それでいいのか。
それを責めることだけでいいのか。
正論としては、イラクの現状をふまえて考えれば、理論的にも無謀な行為として切り捨てることもできるのであろうが、ボクはその甘さも含めて人間なのだという気がしている。
そして、彼もまた人間であったからこそ、あのような判断を行ってしまったのであり、同じ人間であるからこそ、その甘さを非難したくなるのではないか。
そんなことを、あの映像を見ながら、彼に自分を重ね見て思ってしまった。
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少年探偵ブラウン (1)
2004年10月31日 読書
ISBN:4035503509 単行本 Donald Sobol 偕成社 1977/01 ¥630
思わず懐かしくなってアマゾンで買ってしまった。
この本はボクが小学生の頃、図書館でよく借りて読んでいたシリーズの一冊である。その後、大学生になってから図書館に行ったときには、本棚からは既になくなっており、もう読めないのかと思っていたところ、単行本ではないものの、小さい版で見つかったのでふと買ってしまった。
今になって読んでみると、それほど傑作な本でもないのだが、小説仕立ての推理クイズとしてはなかなか興味深いものがあり、面白く読むことができた。
この本は、その他の数々の名作と並んで、ボクにとっては思い出の本であり、その意味は優劣を超えたところにある。
本というものの価値を、あらためて考えさせられる、そんな一冊にこの本はなった気がする。
思わず懐かしくなってアマゾンで買ってしまった。
この本はボクが小学生の頃、図書館でよく借りて読んでいたシリーズの一冊である。その後、大学生になってから図書館に行ったときには、本棚からは既になくなっており、もう読めないのかと思っていたところ、単行本ではないものの、小さい版で見つかったのでふと買ってしまった。
今になって読んでみると、それほど傑作な本でもないのだが、小説仕立ての推理クイズとしてはなかなか興味深いものがあり、面白く読むことができた。
この本は、その他の数々の名作と並んで、ボクにとっては思い出の本であり、その意味は優劣を超えたところにある。
本というものの価値を、あらためて考えさせられる、そんな一冊にこの本はなった気がする。
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10月30日付 ニュース 政治の報道「首相「自然に受け止め」、天皇陛下の国旗・国歌発言 (rd.nikkei.co.jp)」へのコメント:
天皇の発言が問題となっているらしい。
ボクがテレビで見た範囲では、結構ただの世間話っぽかったけど、果たしてあれでも問題なんだろうか?
みんな忘れてるのか、無視してるのか、知らないけど、例の国歌って天皇陛下を礼賛する歌だよね。そんな歌をみんなで歌うようにするのが仕事ですと言われたら、歌の題材になっている本人は「強制にならないようにね」と言いたくなるのは普通じゃないのだろうか?
ボクにとってはそんな普通の発言のように思えたのだけど、問題視しているヒトはかなり騒いでいるらしい。
いろいろ複雑な時代背景があってのことだというのはわかるんだけど、果たしてこんなことで騒ぐというのも、どうなんだろうなぁという気が、ボク個人としてはしなくもないんだけどね。
天皇の発言が問題となっているらしい。
ボクがテレビで見た範囲では、結構ただの世間話っぽかったけど、果たしてあれでも問題なんだろうか?
みんな忘れてるのか、無視してるのか、知らないけど、例の国歌って天皇陛下を礼賛する歌だよね。そんな歌をみんなで歌うようにするのが仕事ですと言われたら、歌の題材になっている本人は「強制にならないようにね」と言いたくなるのは普通じゃないのだろうか?
ボクにとってはそんな普通の発言のように思えたのだけど、問題視しているヒトはかなり騒いでいるらしい。
いろいろ複雑な時代背景があってのことだというのはわかるんだけど、果たしてこんなことで騒ぐというのも、どうなんだろうなぁという気が、ボク個人としてはしなくもないんだけどね。
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遠隔推理―氷室想介の事件簿
2004年10月27日 読書
ISBN:4334737641 文庫 吉村 達也 光文社 2004/10 ¥600
久しぶりにミステリーを読んだ。
たまたま時間があったので暇つぶしで本屋により、新刊コーナーに並んでいたこの本をゲット。そのまま一日で読了した。
彼の作品はよくブックオフに並んでいるので買って読むのだが、全般的に非常にオーソドックスで個性が薄い感じを受ける。
せっかく今回は新刊で買ったのだが、実はこの作品集も同じで、精神分析と「被害者と加害者の逆転」ということをテーマにするアイディアはすばらしいと思うのだが、登場人物の個性が薄いのでイマイチ引き込まれない。だから、また読みたいとも思わない。
結構、いいアイディアだとは思うんだけど、いかしきれてないのかな?残念!!
ということで、きっと結局この本も全国のブックオフに並ぶことになるのであろうと思われる。ボクはあまり本を売らないので恩恵をこうむることはないのだが、100円コーナーではなく、せめて半額コーナーに並べるよう、陰ながら応援したい。
久しぶりにミステリーを読んだ。
たまたま時間があったので暇つぶしで本屋により、新刊コーナーに並んでいたこの本をゲット。そのまま一日で読了した。
彼の作品はよくブックオフに並んでいるので買って読むのだが、全般的に非常にオーソドックスで個性が薄い感じを受ける。
せっかく今回は新刊で買ったのだが、実はこの作品集も同じで、精神分析と「被害者と加害者の逆転」ということをテーマにするアイディアはすばらしいと思うのだが、登場人物の個性が薄いのでイマイチ引き込まれない。だから、また読みたいとも思わない。
結構、いいアイディアだとは思うんだけど、いかしきれてないのかな?残念!!
ということで、きっと結局この本も全国のブックオフに並ぶことになるのであろうと思われる。ボクはあまり本を売らないので恩恵をこうむることはないのだが、100円コーナーではなく、せめて半額コーナーに並べるよう、陰ながら応援したい。
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都バスと新京成バス
2004年10月24日 このところ都バスを利用する機会が多くなった。
もともと、生まれてから二十数年間もの間、千葉県の松戸市民であり続けたボクにとっては、都バスというのはあまり利用することのない交通機関であり、とても印象が薄い存在であった。そしてその後も都バスを利用する必要のある場所には住んだことがなかったため、ただ単に「遅く」、「時間の当てにならない」、「乗客が年寄りばかりの」のんびりした交通機関であるという印象しかなかった。
ところが今回、江東区民になったところ、ここには南北に走る交通機関が少ないため、都バスを利用する必要に駆られるようになってきた。そして実際に乗ってみたところ、結構良いということがわかってきた。特に、乗務員のサービスの良さには驚くべき点が見られた。
そこで、今日は事例問題形式にして、それぞれの事例において、新京成バスの乗務員がとるべき手段と都バスの乗務員がとるべき手段について考えてみたい。
なお、新京成バスについては、ボクが最後に乗ったのは3年くらい前のことであり、今は実家が転居したために乗ることはないことから、現在の取り扱いとは異なる可能性があることを注記しておく。
【事例1】
あなたは駅のバス停に到着し、乗客を入れ替えて、出発時間を待っているところです。すると、出発時間が近いというのに、電車が到着したのか、駅の方からゾロゾロと人がやってきて、しかも一部の人はこのバスに乗ろうと走ってきます。このとき、あなたはどうすべきでしょうか。
(都バスの場合)
とりあえず、乗せてあげる。あとは待てる範囲で待ってあげて、あまり時間がかかるようだと、出発時間から大幅に送れてしまうので、満員であるから次のバスを待つように言って出発する。
(新京成バスの場合)
とりあえず、入り口のドアを閉める。そして、何でもいいから出発する。こうすることで定時運行は完璧なものとなり、時刻表通りの運行が可能になる。
【事例2】
バス停から出発しようとしたところ、信号が赤のため乗用車が詰まっており、数メートル前進したところで止まってしまいました。すると、このバスに乗ろうと走ってきたおばさんがバスに追いつき、入り口のドアをたたいて乗せて欲しいと言っています。このとき、あなたはどうすべきでしょうか。
(都バスの場合)
ドアを開けて乗せてあげる。停留所の枠からバスの先頭がちょっと顔を出したような状態なら、乗せてあげてもいいんじゃないかな?
(新京成バスの場合)
自分の運転に集中する。とりあえず、どんなに大きな音がしようと左を見てはいけない。視界の隅で何かが騒いでいようと気にしてはならず、せいぜい出発をする際に、左のミラーを活用して安全確認だけを行う。あとは、何もなければ通常通りに出発すべし。
【事例3】
途中の停留所で乗客を降ろしたところ、向こうから手を振りながら、おばあさんがヨボヨボと歩いてきます。このとき、あなたはどうすべきでしょうか?
(都バスの場合)
当然、待っていて乗せてあげる。多少の遅れなど気にする必要はない。
(新京成バスの場合)
当然、ドアを閉めて出発する。このとき、おばあさんが後ろからきていた場合には、ミラーの死角などで気が付かないことはしばしばあることなので、まったく気にする必要はない。また、前からきた場合であっても、出発に際しては前方の車道や後続する車両、信号等に気をとられてしまい、気が付かないことはままあることなので、まったく気にする必要はない。
以上、この他にも例はいろいろとあるのだが、なんだか根本的に考え方が違うのではないかと思われるほど、乗務員の態度が異なる。確かに、時刻表を見ずにバス停の表示でバスを待つ都バスと、時刻表を見ながらバスを待つ新京成バスでは、基本的に差があるのは仕方がないことなのかもしれない。実際、時間通りに必ず来る新京成バスというのは、ボクにとっては非常にありがたい交通手段であり、時間が正確に読めるというのは忙しくなってからもこのバスを利用する理由の一つとなった。
そう考えてみると、痛し痒しな話なのであるが、都バスでの乗務員の態度を見てしまうと、ちょっと問題があるようにも感じられる。今さらながらの当たり前な話なのであるが、どちらも一長一短であったのだと気が付かされたことであった。
もともと、生まれてから二十数年間もの間、千葉県の松戸市民であり続けたボクにとっては、都バスというのはあまり利用することのない交通機関であり、とても印象が薄い存在であった。そしてその後も都バスを利用する必要のある場所には住んだことがなかったため、ただ単に「遅く」、「時間の当てにならない」、「乗客が年寄りばかりの」のんびりした交通機関であるという印象しかなかった。
ところが今回、江東区民になったところ、ここには南北に走る交通機関が少ないため、都バスを利用する必要に駆られるようになってきた。そして実際に乗ってみたところ、結構良いということがわかってきた。特に、乗務員のサービスの良さには驚くべき点が見られた。
そこで、今日は事例問題形式にして、それぞれの事例において、新京成バスの乗務員がとるべき手段と都バスの乗務員がとるべき手段について考えてみたい。
なお、新京成バスについては、ボクが最後に乗ったのは3年くらい前のことであり、今は実家が転居したために乗ることはないことから、現在の取り扱いとは異なる可能性があることを注記しておく。
【事例1】
あなたは駅のバス停に到着し、乗客を入れ替えて、出発時間を待っているところです。すると、出発時間が近いというのに、電車が到着したのか、駅の方からゾロゾロと人がやってきて、しかも一部の人はこのバスに乗ろうと走ってきます。このとき、あなたはどうすべきでしょうか。
(都バスの場合)
とりあえず、乗せてあげる。あとは待てる範囲で待ってあげて、あまり時間がかかるようだと、出発時間から大幅に送れてしまうので、満員であるから次のバスを待つように言って出発する。
(新京成バスの場合)
とりあえず、入り口のドアを閉める。そして、何でもいいから出発する。こうすることで定時運行は完璧なものとなり、時刻表通りの運行が可能になる。
【事例2】
バス停から出発しようとしたところ、信号が赤のため乗用車が詰まっており、数メートル前進したところで止まってしまいました。すると、このバスに乗ろうと走ってきたおばさんがバスに追いつき、入り口のドアをたたいて乗せて欲しいと言っています。このとき、あなたはどうすべきでしょうか。
(都バスの場合)
ドアを開けて乗せてあげる。停留所の枠からバスの先頭がちょっと顔を出したような状態なら、乗せてあげてもいいんじゃないかな?
(新京成バスの場合)
自分の運転に集中する。とりあえず、どんなに大きな音がしようと左を見てはいけない。視界の隅で何かが騒いでいようと気にしてはならず、せいぜい出発をする際に、左のミラーを活用して安全確認だけを行う。あとは、何もなければ通常通りに出発すべし。
【事例3】
途中の停留所で乗客を降ろしたところ、向こうから手を振りながら、おばあさんがヨボヨボと歩いてきます。このとき、あなたはどうすべきでしょうか?
(都バスの場合)
当然、待っていて乗せてあげる。多少の遅れなど気にする必要はない。
(新京成バスの場合)
当然、ドアを閉めて出発する。このとき、おばあさんが後ろからきていた場合には、ミラーの死角などで気が付かないことはしばしばあることなので、まったく気にする必要はない。また、前からきた場合であっても、出発に際しては前方の車道や後続する車両、信号等に気をとられてしまい、気が付かないことはままあることなので、まったく気にする必要はない。
以上、この他にも例はいろいろとあるのだが、なんだか根本的に考え方が違うのではないかと思われるほど、乗務員の態度が異なる。確かに、時刻表を見ずにバス停の表示でバスを待つ都バスと、時刻表を見ながらバスを待つ新京成バスでは、基本的に差があるのは仕方がないことなのかもしれない。実際、時間通りに必ず来る新京成バスというのは、ボクにとっては非常にありがたい交通手段であり、時間が正確に読めるというのは忙しくなってからもこのバスを利用する理由の一つとなった。
そう考えてみると、痛し痒しな話なのであるが、都バスでの乗務員の態度を見てしまうと、ちょっと問題があるようにも感じられる。今さらながらの当たり前な話なのであるが、どちらも一長一短であったのだと気が付かされたことであった。
時間
2004年10月15日 久しぶりの復活!
「お前、三日坊主じゃなかったけど、結局飽きたんじゃねぇか」というツッコミは聞き流し、言い訳をすれば、忙しかった……
半分死んでおりまして、今日もまだまだ忙しい。いつになったら時間ができるのかと言われそうだが、きっと時間ができるまでには2〜3ヶ月はかかるんじゃないかな?
とは言っても、本を読んだらぜひまたここには書きたいと思っていて、書きたいことができれば、それもまた書きたい。
ただ、残念ながら、本を読むヒマもないのよね。それが結構つらかったりする。
でも、あの本が出たら書くつもり。あの本なんて書いてもわからないだろうけど、販売延期になっていて、今のところ発売日未定とか言われてる、あるミステリー。それを読んだときには何か書こうと思ってる。だから、それまでは静かに、過ごすこととしようか。
「お前、三日坊主じゃなかったけど、結局飽きたんじゃねぇか」というツッコミは聞き流し、言い訳をすれば、忙しかった……
半分死んでおりまして、今日もまだまだ忙しい。いつになったら時間ができるのかと言われそうだが、きっと時間ができるまでには2〜3ヶ月はかかるんじゃないかな?
とは言っても、本を読んだらぜひまたここには書きたいと思っていて、書きたいことができれば、それもまた書きたい。
ただ、残念ながら、本を読むヒマもないのよね。それが結構つらかったりする。
でも、あの本が出たら書くつもり。あの本なんて書いてもわからないだろうけど、販売延期になっていて、今のところ発売日未定とか言われてる、あるミステリー。それを読んだときには何か書こうと思ってる。だから、それまでは静かに、過ごすこととしようか。
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他のサイトでもブログを始めてみた。
とりあえず、ライブドアとgooで始めてみた。
結構、いろいろ特色がある。そういう意味では、サイト選びも面白い。
ここって、レビューが書きやすいのと軽いのがいい。
ライブドアは、サイトのデザインを凝ったりできるのと、携帯からの更新ができるのがいい。
gooは、アクセスランキング関係が面白い。
どれもいい点があって、一本化するのが難しい。
ただ、ライブドアは重いから、更新できないし、そろそろ考えようかな。
そうすると、こことgooから選ぼうか?
それとも、もっと他もみてみようかな。
やってみると結構ハマるという事に、
ボクもようやく気が付き始めた。
とりあえず、ライブドアとgooで始めてみた。
結構、いろいろ特色がある。そういう意味では、サイト選びも面白い。
ここって、レビューが書きやすいのと軽いのがいい。
ライブドアは、サイトのデザインを凝ったりできるのと、携帯からの更新ができるのがいい。
gooは、アクセスランキング関係が面白い。
どれもいい点があって、一本化するのが難しい。
ただ、ライブドアは重いから、更新できないし、そろそろ考えようかな。
そうすると、こことgooから選ぼうか?
それとも、もっと他もみてみようかな。
やってみると結構ハマるという事に、
ボクもようやく気が付き始めた。
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いろは歌に暗号(かくしごと)―まんだら探偵空海
2004年10月2日 読書
ISBN:4396207840 新書 鯨 統一郎 祥伝社 2004/08 ¥860
ちょっと期待しすぎた。
なんだかイマイチ。
メインストーリーと、いろは歌の暗号があまりうまくつながってない。
そろそろネタ切れなのかなぁ……やっぱり。
『邪馬台国はどこですか?』のインパクトがすごくて、それで何となく買い続けてるけど、そろそろやめようかな。
ちょっと期待しすぎた。
なんだかイマイチ。
メインストーリーと、いろは歌の暗号があまりうまくつながってない。
そろそろネタ切れなのかなぁ……やっぱり。
『邪馬台国はどこですか?』のインパクトがすごくて、それで何となく買い続けてるけど、そろそろやめようかな。
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もう9月も終わろうとしているのに、ある作品がなかなか本屋に並ばないので、次に電車の中では何を読もうか考えて、これを引っ張り出してきた。
これは森先生の作品の中では、ある意味ネタばらし的な意味で重要な一冊。ボクなんかは、それほど考えずに読み進めたきたから、まさかそのような裏があったなんて、まったく考えたこともなかった。もしかしたら、ファンの間ではいろいろと議論があったのかもしれないが、周りにミステリーファンのいないボクにとっては、とても新鮮に感じられた。
しかも、読み進めるにつれて、自分があっさりと読み飛ばしてきた作品たちが、違う側面も持っていたことを思い知らされ、時にはボク自身が違和感を持たなかったことに、疑問を持つような内容もあった。(早く気が付くべきだったのでは?と自問してみたりする)
作品自体のチカラとしては、あまり強くはないと思うし、これを単独で読んでも、たいして面白くはない。でも、今までの作品とのつながりとを考えたとき、光を放つようにできあがっている。
ただ、これを出したというのはどうだったのだろう。やはり予定された内容だったのだろうか?森先生のホームページは、今はもう見ていないから、これについては何と言っているのか知らないが、結構書いている側としては、どれだけの人が気が付いてくれるのか楽しみだったのではないだろうか。
以前、中島みゆきが夜会で凝ったことをやりすぎてしまい、自分の意図した内容が観客にうまく伝わらなかったことに失望をしたというような内容が書いてあったのを読んだことがある。
ボクもそんな鈍感な人間の一人だっただけに、先生にはぜひ「や〜い、わかんなかっただろ!」と喜んでいただきたいと思う。
これは森先生の作品の中では、ある意味ネタばらし的な意味で重要な一冊。ボクなんかは、それほど考えずに読み進めたきたから、まさかそのような裏があったなんて、まったく考えたこともなかった。もしかしたら、ファンの間ではいろいろと議論があったのかもしれないが、周りにミステリーファンのいないボクにとっては、とても新鮮に感じられた。
しかも、読み進めるにつれて、自分があっさりと読み飛ばしてきた作品たちが、違う側面も持っていたことを思い知らされ、時にはボク自身が違和感を持たなかったことに、疑問を持つような内容もあった。(早く気が付くべきだったのでは?と自問してみたりする)
作品自体のチカラとしては、あまり強くはないと思うし、これを単独で読んでも、たいして面白くはない。でも、今までの作品とのつながりとを考えたとき、光を放つようにできあがっている。
ただ、これを出したというのはどうだったのだろう。やはり予定された内容だったのだろうか?森先生のホームページは、今はもう見ていないから、これについては何と言っているのか知らないが、結構書いている側としては、どれだけの人が気が付いてくれるのか楽しみだったのではないだろうか。
以前、中島みゆきが夜会で凝ったことをやりすぎてしまい、自分の意図した内容が観客にうまく伝わらなかったことに失望をしたというような内容が書いてあったのを読んだことがある。
ボクもそんな鈍感な人間の一人だっただけに、先生にはぜひ「や〜い、わかんなかっただろ!」と喜んでいただきたいと思う。
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久しぶりにがんこラーメンに行った。
塩ラーメンを食べたのだがとてもうまかった。
でも、むかしほどチャーシューがおいしく感じないのはなぜだろう?
ボクの舌が変わったのだろうか。
ボクは一時関西に行っていたことがある。
その間、東京の食べ物からは遠ざかっていた。
だから、その間に味覚が変わったことはかなりあり得る。
ただ、がんこラーメンはお気に入りのラーメン屋の一つだっただけに、非常に手いたい。
特にここは、チャーシューが食べたくて通っていた店であっただけに、チャーシューの味が落ちてしまうと、ボクの行きたい度数は半減する。
う〜ん、残念!
早く次のおいしい店でも開拓するか。
塩ラーメンを食べたのだがとてもうまかった。
でも、むかしほどチャーシューがおいしく感じないのはなぜだろう?
ボクの舌が変わったのだろうか。
ボクは一時関西に行っていたことがある。
その間、東京の食べ物からは遠ざかっていた。
だから、その間に味覚が変わったことはかなりあり得る。
ただ、がんこラーメンはお気に入りのラーメン屋の一つだっただけに、非常に手いたい。
特にここは、チャーシューが食べたくて通っていた店であっただけに、チャーシューの味が落ちてしまうと、ボクの行きたい度数は半減する。
う〜ん、残念!
早く次のおいしい店でも開拓するか。
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定期券の更新をしてきた。
そして、今回はSUICA定期券を新しいものと取り替えてもらうことにした。何しろ、今まで使っていたのは、比較的初期の頃に買ったものだから、もう使い始めて2〜3年くらいたつ。だからだろうか、すごく調子が悪かったのだ。
何が問題かというと、まずうまく認識しない。一回、認識したという意味での「ピッ!」がなった後、もう一度なぜか「ピッ!」と鳴るのである。そして、そういう場合によくあるのが、後ろの人への誤作動である。
きっと後ろの人は何も悪くないのだが、なぜか止められてしまう。そしてしばらくの間、もたつくことになる。そんなことが大行列を作っている、朝のラッシュアワーでしばしば起っていたのである。
ところが、今や状況はまったく違う。とてもスムーズに認識するのである。まったく何も問題がない。定期入れの別のところに入っている、JR西日本のICOCAを勝手に認識して、複数あるなどとご指摘いただくこともなくなったのだ。
早く替えれば良かったと、ちょっと反省しているところだが、でも、ちょっと待て。これって実はヤミ改修じゃねぇのか?それで、デザインをちょっと変えて、買い物もできるSUICAと取り替えましょうとキャンペーンをしてるのか?
もしそうだとすると、もっと早く言って欲しかった。そうすれば、もっと早い段階で変えることができたのに。毎日、うまく認識するかどうかを心配する必要もなかったのに。まったくJRも、こそこそ何をやっているのかよくわからんことだ。
そして、今回はSUICA定期券を新しいものと取り替えてもらうことにした。何しろ、今まで使っていたのは、比較的初期の頃に買ったものだから、もう使い始めて2〜3年くらいたつ。だからだろうか、すごく調子が悪かったのだ。
何が問題かというと、まずうまく認識しない。一回、認識したという意味での「ピッ!」がなった後、もう一度なぜか「ピッ!」と鳴るのである。そして、そういう場合によくあるのが、後ろの人への誤作動である。
きっと後ろの人は何も悪くないのだが、なぜか止められてしまう。そしてしばらくの間、もたつくことになる。そんなことが大行列を作っている、朝のラッシュアワーでしばしば起っていたのである。
ところが、今や状況はまったく違う。とてもスムーズに認識するのである。まったく何も問題がない。定期入れの別のところに入っている、JR西日本のICOCAを勝手に認識して、複数あるなどとご指摘いただくこともなくなったのだ。
早く替えれば良かったと、ちょっと反省しているところだが、でも、ちょっと待て。これって実はヤミ改修じゃねぇのか?それで、デザインをちょっと変えて、買い物もできるSUICAと取り替えましょうとキャンペーンをしてるのか?
もしそうだとすると、もっと早く言って欲しかった。そうすれば、もっと早い段階で変えることができたのに。毎日、うまく認識するかどうかを心配する必要もなかったのに。まったくJRも、こそこそ何をやっているのかよくわからんことだ。
暗黒館の殺人 (下)
2004年9月27日 読書
全体としての結論。
これが実験的作品だとしたら、半分成功。でも、残り半分は失敗。特にトリックが失敗で、読者を作品世界に引っぱりこむ点でも失敗。伏線はたくさん張ってあるようだけど、それが何か効果的かと言われるとかなり怪しい。
ただ、小説の世界が特殊な雰囲気を醸し出している点や、ある意味で新しい境地にチャレンジしたことは、賞賛しても良いかもしれない。
なんだか歯切れの悪い文章になっていることを自分でも感じる。それはなぜかというと、彼の新本格派としてのプライドからだったのか、彼は様々なヒントを小説の中に埋め込んでしまった。それは、うまく隠れていれば、あとから気が付いて悔しい思いをさせてくれることになる。ところが、やりすぎて隠しきれなくなってくると、逆にいろいろなことが見えてきてしまう。きっと読了した方は同じような感想を持った人が多いはずだ。「やっぱり」と。
推理小説を読むことは勝ち負けではない。でも、ミステリーの醍醐味は、”驚き”であるはず。
「へぇーっ、そうだったんだ」
「なるほど、こいつが犯人か」
それが言いたくて、ボクはミステリーを読んでいるような気がする。だから、作者にはドンドンと期待を裏切って欲しい。勝ち誇った顔でネタばらしをして欲しい。そして、このボクに「やられた」と言わしめて欲しいのである。
でも、この作品はそうではなかった。しかも、無駄に長く、下巻の途中からは、ただ作品世界に関する説明を聞いているだけになる。でも、そんなことを聞きたかったんじゃないんだな。そんな解説は、全体にちりばめて、少しずつ小出しにして欲しかったんだな。さもなければ、地の文とかで描写をする中に埋め込んで欲しかった。
ボクは今、とても悩んでいる。この本を再読すべきか、本棚に収めるべきか。全てがわかった上で、もう一度最初から読んだとき、その魅力が再燃するのであれば、この本は傑作であろうし、やっぱり「なんだ」という一言で終わるならば、完全なる失敗作である。ボクはそれを本当に見届けるべきなのか。そして、最悪の場合には、ブックオフという選択肢により、3千円の一部を回収することを検討すべきなのか。
これは、この本の題名だけを知りながら、中身を知らされないでいた期間があまりに長かっただけに、ボクにとっては非常に悩ましく、難しい問題であったりする。
これが実験的作品だとしたら、半分成功。でも、残り半分は失敗。特にトリックが失敗で、読者を作品世界に引っぱりこむ点でも失敗。伏線はたくさん張ってあるようだけど、それが何か効果的かと言われるとかなり怪しい。
ただ、小説の世界が特殊な雰囲気を醸し出している点や、ある意味で新しい境地にチャレンジしたことは、賞賛しても良いかもしれない。
なんだか歯切れの悪い文章になっていることを自分でも感じる。それはなぜかというと、彼の新本格派としてのプライドからだったのか、彼は様々なヒントを小説の中に埋め込んでしまった。それは、うまく隠れていれば、あとから気が付いて悔しい思いをさせてくれることになる。ところが、やりすぎて隠しきれなくなってくると、逆にいろいろなことが見えてきてしまう。きっと読了した方は同じような感想を持った人が多いはずだ。「やっぱり」と。
推理小説を読むことは勝ち負けではない。でも、ミステリーの醍醐味は、”驚き”であるはず。
「へぇーっ、そうだったんだ」
「なるほど、こいつが犯人か」
それが言いたくて、ボクはミステリーを読んでいるような気がする。だから、作者にはドンドンと期待を裏切って欲しい。勝ち誇った顔でネタばらしをして欲しい。そして、このボクに「やられた」と言わしめて欲しいのである。
でも、この作品はそうではなかった。しかも、無駄に長く、下巻の途中からは、ただ作品世界に関する説明を聞いているだけになる。でも、そんなことを聞きたかったんじゃないんだな。そんな解説は、全体にちりばめて、少しずつ小出しにして欲しかったんだな。さもなければ、地の文とかで描写をする中に埋め込んで欲しかった。
ボクは今、とても悩んでいる。この本を再読すべきか、本棚に収めるべきか。全てがわかった上で、もう一度最初から読んだとき、その魅力が再燃するのであれば、この本は傑作であろうし、やっぱり「なんだ」という一言で終わるならば、完全なる失敗作である。ボクはそれを本当に見届けるべきなのか。そして、最悪の場合には、ブックオフという選択肢により、3千円の一部を回収することを検討すべきなのか。
これは、この本の題名だけを知りながら、中身を知らされないでいた期間があまりに長かっただけに、ボクにとっては非常に悩ましく、難しい問題であったりする。
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暗黒館の殺人 (上)
2004年9月26日 読書
ようやく読み終わった。
実は現時点では、すでに下巻も読み終わっているのだけど、とりあえず今日は上巻だけ。
で、感想なんだけど、ハッキリ言ってとても読みづらかった。特に、この上巻の前半は最悪で、あまりにストレスがたまったから、思わずこのブログに愚痴を書き散らしたくらい。(もうこの本を読んだ方は、気が向いたら22日の日記も読んでみてください。同じように感じた方もいたのでは?)
でも、それを乗り越えたら後半あたりから面白くなってきて、あとは一気に下巻まで読み通してしまった。
全体のできについては下巻の感想にゆずるとして、前半だけ見たときの感想としては、とにかくバラバラ。せっかく作った特殊な世界観に入り込むこともできず、もがき苦しみながら前へ進んでいった感じ。
で、それなりに前へ進んだら、急に視界がパァーッと開けてきて、それなりに話の展開もつかめるようになり、あとは最後まで一気に読了!
だから、この本で大事なことは、とりあえず上巻の前半で挫折しないこと。本の厚さと、読みにくい文章に負けないこと。それがとりあえずは大切じゃないかな。
あと、この本って考えすぎるとつまらなくなる気がするから、あんまり考えずに、読み進めていった方がいいかも。あんまり自分で推理をしようとしすぎてしまうと、結構面白さが半減する気がする。だから、ラフな感じで読み進めた方がいいかもしれない。
ただ、とりあえず読了できたので、ボクとしては良かった。実は、途中で何度も投げ出したくなったんだよね。それに、何となく先が見えているのに、登場人物は気が付かないし。
まあ、それが小説だと言われればしょうがないんだけどね。
実は現時点では、すでに下巻も読み終わっているのだけど、とりあえず今日は上巻だけ。
で、感想なんだけど、ハッキリ言ってとても読みづらかった。特に、この上巻の前半は最悪で、あまりにストレスがたまったから、思わずこのブログに愚痴を書き散らしたくらい。(もうこの本を読んだ方は、気が向いたら22日の日記も読んでみてください。同じように感じた方もいたのでは?)
でも、それを乗り越えたら後半あたりから面白くなってきて、あとは一気に下巻まで読み通してしまった。
全体のできについては下巻の感想にゆずるとして、前半だけ見たときの感想としては、とにかくバラバラ。せっかく作った特殊な世界観に入り込むこともできず、もがき苦しみながら前へ進んでいった感じ。
で、それなりに前へ進んだら、急に視界がパァーッと開けてきて、それなりに話の展開もつかめるようになり、あとは最後まで一気に読了!
だから、この本で大事なことは、とりあえず上巻の前半で挫折しないこと。本の厚さと、読みにくい文章に負けないこと。それがとりあえずは大切じゃないかな。
あと、この本って考えすぎるとつまらなくなる気がするから、あんまり考えずに、読み進めていった方がいいかも。あんまり自分で推理をしようとしすぎてしまうと、結構面白さが半減する気がする。だから、ラフな感じで読み進めた方がいいかもしれない。
ただ、とりあえず読了できたので、ボクとしては良かった。実は、途中で何度も投げ出したくなったんだよね。それに、何となく先が見えているのに、登場人物は気が付かないし。
まあ、それが小説だと言われればしょうがないんだけどね。
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ライブドアと楽天の社長が仙台で遭遇 [日刊スポーツ]
2004年9月25日 時事ニュース
これってどうなるんだろう。
ただ、ライブドアと楽天って、なんだかIT産業とひとくくりにされてるけど、この二人って本質的に違うと思うんだよね。
感覚派と理性派みたいな。
だって、ライブドアの社長って、実は失敗したライブドアを買った人でしょ。元々ライブドアは無料プロバイダーだったはず。だから、ライブドアって言うのは、本当は他の人が一生懸命に宣伝をして名前を広めて、ネームバリューを持たせたところでつぶれちゃって、それを後から買い取ってうまく活用したって言う、そういう会社なんだよね。
それに、いろいろな新しいことにもチャレンジしてる。今回の野球ビジネスだって、当初三木谷さんが断ったくらいなんだから、それがビジネスになるんじゃないかって考えた感覚はスゴいと思う。
それに対して、楽天って、MBAまでとった銀行屋さんが始めた会社でしょ。しかも、ああいうサイトって、元々アメリカで成功してて、一般的に日本はアメリカから10年遅れと言われてるから、あのころに始めれば結構な確率で成功することができたんだよね。
確かに、最初は出店してくれるお店を集めるのは大変だっただろうと思う。でも、そこさえ乗り切れば、あのビジネスは成功するビジネスだった。だから、下手なことを始めるよりかは、あのビジネスというのはビジネスモデルとして成功する潜在能力が高かった分、本人の資質が若干足りなかったとしても、成功しやすかったんじゃないだろうか。
こんなことを言うと、いろいろと否定派がいるとは思う。ただ、ボクがこんなことを書いているのは、三木谷さんを否定したいからではないんだよね。そうではなくて、堀江さんと三木谷さんの本質的な違いなんだよね。
つまり、堀江氏は開拓者であり、チャレンジャーなんだと思うんだよ。でもね、三木谷氏って、基本的には感覚が鋭い経営者なんだと思うんだよね。だから、新しいように見えて、実は古いタイプの人だと思うんだ。
だいたい、今回の一件を見ていても明らかじゃない?彼らの差って。
三木谷氏って、全部堀江氏の後追いをしてるよね。あとから追従してるだけ。
だって、よく考えてごらんよ。楽天は自分で何か新しい案を出したかい?
プロ野球をよくするために、またはプロ野球を変えるために、何か案を出したかい?
何も出してないじゃないか!
このまま行くと、楽天が勝つんだろう。そうすれば、パッと見は新しくなったように見えて、実は今と何も変わらないという状況が作り出せる。
でも、それじゃあ、面白くないんだな。東北の一部では盛り上がるかもしれないけど、全国には広がらないと思うんだな。だから、何とかして堀江氏には頑張って欲しい。そして、プロ野球の新たなビジネスモデルを作り上げて欲しい。三木谷氏は神戸でサッカーチームをやっているそうだが、それがほとんど目立っていないことを考えれば、どうせ同じようなことになるのは目に見えている。
こんなことを考えるのは、ボク自身が両方のタイプの人を見てきているからかもしれない。そして、ボク自身が革新的な考え方を好む人だからかもしれない。でも、客観的に見ても、やはり堀江氏が参入した方が、プロ野球が面白くなるのは確かだろうと思う。そして、プロ野球が新たな時代に突入できるようになると思う。ボクは、そのような冒険を、変化を、恐れずに選択できる、そんなプロ野球機構であって欲しいと思う。
ただ、ライブドアと楽天って、なんだかIT産業とひとくくりにされてるけど、この二人って本質的に違うと思うんだよね。
感覚派と理性派みたいな。
だって、ライブドアの社長って、実は失敗したライブドアを買った人でしょ。元々ライブドアは無料プロバイダーだったはず。だから、ライブドアって言うのは、本当は他の人が一生懸命に宣伝をして名前を広めて、ネームバリューを持たせたところでつぶれちゃって、それを後から買い取ってうまく活用したって言う、そういう会社なんだよね。
それに、いろいろな新しいことにもチャレンジしてる。今回の野球ビジネスだって、当初三木谷さんが断ったくらいなんだから、それがビジネスになるんじゃないかって考えた感覚はスゴいと思う。
それに対して、楽天って、MBAまでとった銀行屋さんが始めた会社でしょ。しかも、ああいうサイトって、元々アメリカで成功してて、一般的に日本はアメリカから10年遅れと言われてるから、あのころに始めれば結構な確率で成功することができたんだよね。
確かに、最初は出店してくれるお店を集めるのは大変だっただろうと思う。でも、そこさえ乗り切れば、あのビジネスは成功するビジネスだった。だから、下手なことを始めるよりかは、あのビジネスというのはビジネスモデルとして成功する潜在能力が高かった分、本人の資質が若干足りなかったとしても、成功しやすかったんじゃないだろうか。
こんなことを言うと、いろいろと否定派がいるとは思う。ただ、ボクがこんなことを書いているのは、三木谷さんを否定したいからではないんだよね。そうではなくて、堀江さんと三木谷さんの本質的な違いなんだよね。
つまり、堀江氏は開拓者であり、チャレンジャーなんだと思うんだよ。でもね、三木谷氏って、基本的には感覚が鋭い経営者なんだと思うんだよね。だから、新しいように見えて、実は古いタイプの人だと思うんだ。
だいたい、今回の一件を見ていても明らかじゃない?彼らの差って。
三木谷氏って、全部堀江氏の後追いをしてるよね。あとから追従してるだけ。
だって、よく考えてごらんよ。楽天は自分で何か新しい案を出したかい?
プロ野球をよくするために、またはプロ野球を変えるために、何か案を出したかい?
何も出してないじゃないか!
このまま行くと、楽天が勝つんだろう。そうすれば、パッと見は新しくなったように見えて、実は今と何も変わらないという状況が作り出せる。
でも、それじゃあ、面白くないんだな。東北の一部では盛り上がるかもしれないけど、全国には広がらないと思うんだな。だから、何とかして堀江氏には頑張って欲しい。そして、プロ野球の新たなビジネスモデルを作り上げて欲しい。三木谷氏は神戸でサッカーチームをやっているそうだが、それがほとんど目立っていないことを考えれば、どうせ同じようなことになるのは目に見えている。
こんなことを考えるのは、ボク自身が両方のタイプの人を見てきているからかもしれない。そして、ボク自身が革新的な考え方を好む人だからかもしれない。でも、客観的に見ても、やはり堀江氏が参入した方が、プロ野球が面白くなるのは確かだろうと思う。そして、プロ野球が新たな時代に突入できるようになると思う。ボクは、そのような冒険を、変化を、恐れずに選択できる、そんなプロ野球機構であって欲しいと思う。
VVV6 「東京Vシュラン」
2004年9月25日 読書
別に僕はV6のファンではない。でも、実はこの番組は好きで、よく見ている。そして、番組の本がでるというのきいて、思わず帰りがけに本屋によって買ってしまった。(本当は他にも読みたい本がいっぱいあるんだけど……)
で、中身はというと、一つの料理をテーマに番組でアンケートをとり、それで上位に入った店を紹介するという内容。ただ、結構若い女性のアンケート結果なのか、お店の選択には若干偏りがある。なんて言うんだろう、ちょっとこぎれいで、女性の好みそうなお店が多い。
ただ、ボクのような男性からすると、逆にそれが新鮮に感じられ、普通のグルメ本とは違う良さが感じられる。
一般的なグルメ本だと、その道の通とかいう男たちが、いろいろな店を回ってうんちくをたれたりするじゃない?それこそラーメンなんて、毎食のようにラーメンを食べるような人がいたりして、スープのダシとかまで全部わかっちゃったりするよね。それとか、スイーツ系にしても砂糖の名前とかまで知ってたり。
そう、早い話が『TVチャンピオン』系の匂いがしないグルメ本。きっとイメージとしては、OLさんなんかが友達同士で帰りがけにもいけるような、ちょっときれいでおいしい店という感じなのだろう。だから、ラーメン屋にしても、おいしいけど雑多な雰囲気のするようなラーメン屋ではなく、比較的女性などでも並びやすいような、または入りやすいようなラーメン屋さんが選ばれている。
だから、そういう意味では、きっと女性が買った方が実用的。男性が買うと、デート用くらいにしか使えないところも中にはあるかも。だって、女性客の多い洋食屋さんとかって、男だけでは入りにくいじゃない?
でも、口コミでおすすめの店だから、逆にけっこうハズレは少ないはず。今のところ、まだこの本を見て行ったお店はないけど、きっとおいしいお店が多いに違いない。だから、きっとこの本自体は買って損はないだろうと思う。
で、中身はというと、一つの料理をテーマに番組でアンケートをとり、それで上位に入った店を紹介するという内容。ただ、結構若い女性のアンケート結果なのか、お店の選択には若干偏りがある。なんて言うんだろう、ちょっとこぎれいで、女性の好みそうなお店が多い。
ただ、ボクのような男性からすると、逆にそれが新鮮に感じられ、普通のグルメ本とは違う良さが感じられる。
一般的なグルメ本だと、その道の通とかいう男たちが、いろいろな店を回ってうんちくをたれたりするじゃない?それこそラーメンなんて、毎食のようにラーメンを食べるような人がいたりして、スープのダシとかまで全部わかっちゃったりするよね。それとか、スイーツ系にしても砂糖の名前とかまで知ってたり。
そう、早い話が『TVチャンピオン』系の匂いがしないグルメ本。きっとイメージとしては、OLさんなんかが友達同士で帰りがけにもいけるような、ちょっときれいでおいしい店という感じなのだろう。だから、ラーメン屋にしても、おいしいけど雑多な雰囲気のするようなラーメン屋ではなく、比較的女性などでも並びやすいような、または入りやすいようなラーメン屋さんが選ばれている。
だから、そういう意味では、きっと女性が買った方が実用的。男性が買うと、デート用くらいにしか使えないところも中にはあるかも。だって、女性客の多い洋食屋さんとかって、男だけでは入りにくいじゃない?
でも、口コミでおすすめの店だから、逆にけっこうハズレは少ないはず。今のところ、まだこの本を見て行ったお店はないけど、きっとおいしいお店が多いに違いない。だから、きっとこの本自体は買って損はないだろうと思う。
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爆睡
2004年9月24日 あ、ありえない。何かおかしい。実は今、土曜日である。土曜日に金曜日の日記を書いているのである。
なぜか?
その理由は簡単。気が付いたら土曜日だったからだ。
昨日帰ってきて、部屋にゴロリと横になりながら、さっき買ったばかりの本を読んで、それで気が付いたら土曜日の朝。
あれっ、さっきまで金曜日だったのに……
しかも、帰ってきて、本を読み始めたのって、9時頃じゃなかったっけ?
まったく10時間近くも寝続けたというのだから、スゴいことである。とても久しぶりにこんなことがあった。相当、疲れていたのだろうか。今週は大変だったからかな。
さて、週末は少しのんびりと過ごそうか。でも、たくさんやることがある。まあ、疲れすぎない程度に、来週へ響かない程度に、頑張るとしようか。
なぜか?
その理由は簡単。気が付いたら土曜日だったからだ。
昨日帰ってきて、部屋にゴロリと横になりながら、さっき買ったばかりの本を読んで、それで気が付いたら土曜日の朝。
あれっ、さっきまで金曜日だったのに……
しかも、帰ってきて、本を読み始めたのって、9時頃じゃなかったっけ?
まったく10時間近くも寝続けたというのだから、スゴいことである。とても久しぶりにこんなことがあった。相当、疲れていたのだろうか。今週は大変だったからかな。
さて、週末は少しのんびりと過ごそうか。でも、たくさんやることがある。まあ、疲れすぎない程度に、来週へ響かない程度に、頑張るとしようか。
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今日はお昼に浅草へ行った。そこで、本当は蕎麦でも食べようかと思ったのだが、目指す店がお休みだったので、急遽変更して天丼を食べた。
もともと天丼は大好きで、一時期「てんや」にも通ったことがあるのだが、もちろんここの天丼はそんな天丼とは訳が違う。
からっと揚がった天ぷらの香ばしい香り。そして、白いご飯が見あたらないくらいにツユがかかりながらもしょっぱくはなく、しかも最後の方に丼の底にツユがたまるようなこともない。すなわち、全体のバランスがいいのである。
当然、お値段もサラリーマンの普通のランチとしては高くなってしまうが、やはりおいしいものはおいしい。最近は暑さのあまり、冷たいお蕎麦とかに逃げがちな生活が続いていたが、そろそろ涼しくなってきたことだし、たまにはこういうものを食べてもいいかな、と思った。
もともと天丼は大好きで、一時期「てんや」にも通ったことがあるのだが、もちろんここの天丼はそんな天丼とは訳が違う。
からっと揚がった天ぷらの香ばしい香り。そして、白いご飯が見あたらないくらいにツユがかかりながらもしょっぱくはなく、しかも最後の方に丼の底にツユがたまるようなこともない。すなわち、全体のバランスがいいのである。
当然、お値段もサラリーマンの普通のランチとしては高くなってしまうが、やはりおいしいものはおいしい。最近は暑さのあまり、冷たいお蕎麦とかに逃げがちな生活が続いていたが、そろそろ涼しくなってきたことだし、たまにはこういうものを食べてもいいかな、と思った。
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今読んでいる本がある。読み終わったら、ここにも感想を書こうと思っているんだけど、なかなか読み終わりそうにないので、とりあえず書きたいことを書いちゃおうと思う。
ただ、まだ途中だから、書籍名は書かない。とりあえずボクの中にたまりにたまったものを書く。本当にただ言いたいことを言うだけ。だから、検索サイトから間違って飛んできた人は、決して読まないようにね!
〜●〜●〜●〜●〜●〜●〜●〜●〜●〜●〜●〜●〜●〜●〜●〜●〜
本屋で平積みになっているのを見つけたときには、出るって知らなかったから本当に驚いた。だって、題名だけ発表されて、何年出なかったと思う?前作だって、ボクにとってはとっても遅かったというのに、今回といったら……
しかも、この厚みは何?それに上下巻?京極夏彦じゃないんだから、勘弁してくれよ。しかも、京極夏彦みたいに読み飛ばせる内容ならいいよ。でも、あんたのは本格ミステリーじゃん。それに、あんたのことだから、いろいろ布石もおいてあって、結構凝った作りになってるんじゃないの?ああ、それをこの分量読めというのは、本当に大変だぞ。
しかも、実際に読み始めたらこれが本当に大変。だって、これ、一人称小説じゃん。書き手が神の視点にいるような、普通の小説ならいいよ。でも、一人称ってことは、視点が定まっちゃうわけだよね。それなのに、その視点がフラフラといろいろな人に変わっていくなんて、明らかに意図的に混同させようとしているよね。
一応、地の文で『僕』、『私』と使い分けているようだから、とりあえずそれを信用しながら読んでるけど、それって気が付くまで、今、誰の視点なんだかよくわかんないよ。
それに、途中で地の文に『「私」』という自称が出てくるよね。これって、三人目ってこと?そうすると、登場人物の紹介で書かれている、『「私」』とは一致するけど、今までの『私』とは別の人なの?
ああ、訳わかんね。
本当に視点が動きすぎ。コロコロ視点が変わるんだもの。だから、本当に読みづらい。イメージがしづらい。話の流れもつかみにくい。
だって、そうでしょ。確かに同じぶ厚くても、京極夏彦君なら安心して読めるよ。二階堂君の人狼城だって、厚いけど常識の範囲内の作品じゃない?
でも、君の作品はどうなの?何人もの人の視点を行き来して、それぞれが違うんだか同じなんだか、よくわからない。しかもだよ、君のことだから、時間軸だって違うかもしれないでしょ。この部分は現代だけど、こっちは○十年前とか言いそうじゃない?
ああ、そんなことを考えずに素直に読み進めればいいのかもしれないけど、結構つらいのよね。なんだか面白さが伝わらないの。っていうか、本当のことを言うと、前作もあまり面白いとは思えなかったんだけどね。
とりあえず、上巻の4分の1くらいはきてると思うんだけど、また新しい奴が一人称で出てくるし、変な死体は見つかるし、それこそ時間はいつだかわからないし、読むのがつらいなぁ。
もう一回最初から読みかえしてみようかな?そうすれば何かわかるかな?
でも、そんなことを言い出すと、なんだか今までの作品を最初から読んでいって、それから読まないといけないような気もしてくるな。だって、なぜか画家とか出てきちゃうし。
さあ、何とか読むぞ!
明日は半分いくぞ!
今月中には少なくとも上巻は読み終えるぞ!
なんてことを自分自身に言い聞かせないと読む気がしない本って、どういう本なんだ。まあ、とりあえず最後まで読めば、「おもしろいなぁ」と言えるんだろうから、それを期待して頑張るとするか。
ただ、まだ途中だから、書籍名は書かない。とりあえずボクの中にたまりにたまったものを書く。本当にただ言いたいことを言うだけ。だから、検索サイトから間違って飛んできた人は、決して読まないようにね!
〜●〜●〜●〜●〜●〜●〜●〜●〜●〜●〜●〜●〜●〜●〜●〜●〜
本屋で平積みになっているのを見つけたときには、出るって知らなかったから本当に驚いた。だって、題名だけ発表されて、何年出なかったと思う?前作だって、ボクにとってはとっても遅かったというのに、今回といったら……
しかも、この厚みは何?それに上下巻?京極夏彦じゃないんだから、勘弁してくれよ。しかも、京極夏彦みたいに読み飛ばせる内容ならいいよ。でも、あんたのは本格ミステリーじゃん。それに、あんたのことだから、いろいろ布石もおいてあって、結構凝った作りになってるんじゃないの?ああ、それをこの分量読めというのは、本当に大変だぞ。
しかも、実際に読み始めたらこれが本当に大変。だって、これ、一人称小説じゃん。書き手が神の視点にいるような、普通の小説ならいいよ。でも、一人称ってことは、視点が定まっちゃうわけだよね。それなのに、その視点がフラフラといろいろな人に変わっていくなんて、明らかに意図的に混同させようとしているよね。
一応、地の文で『僕』、『私』と使い分けているようだから、とりあえずそれを信用しながら読んでるけど、それって気が付くまで、今、誰の視点なんだかよくわかんないよ。
それに、途中で地の文に『「私」』という自称が出てくるよね。これって、三人目ってこと?そうすると、登場人物の紹介で書かれている、『「私」』とは一致するけど、今までの『私』とは別の人なの?
ああ、訳わかんね。
本当に視点が動きすぎ。コロコロ視点が変わるんだもの。だから、本当に読みづらい。イメージがしづらい。話の流れもつかみにくい。
だって、そうでしょ。確かに同じぶ厚くても、京極夏彦君なら安心して読めるよ。二階堂君の人狼城だって、厚いけど常識の範囲内の作品じゃない?
でも、君の作品はどうなの?何人もの人の視点を行き来して、それぞれが違うんだか同じなんだか、よくわからない。しかもだよ、君のことだから、時間軸だって違うかもしれないでしょ。この部分は現代だけど、こっちは○十年前とか言いそうじゃない?
ああ、そんなことを考えずに素直に読み進めればいいのかもしれないけど、結構つらいのよね。なんだか面白さが伝わらないの。っていうか、本当のことを言うと、前作もあまり面白いとは思えなかったんだけどね。
とりあえず、上巻の4分の1くらいはきてると思うんだけど、また新しい奴が一人称で出てくるし、変な死体は見つかるし、それこそ時間はいつだかわからないし、読むのがつらいなぁ。
もう一回最初から読みかえしてみようかな?そうすれば何かわかるかな?
でも、そんなことを言い出すと、なんだか今までの作品を最初から読んでいって、それから読まないといけないような気もしてくるな。だって、なぜか画家とか出てきちゃうし。
さあ、何とか読むぞ!
明日は半分いくぞ!
今月中には少なくとも上巻は読み終えるぞ!
なんてことを自分自身に言い聞かせないと読む気がしない本って、どういう本なんだ。まあ、とりあえず最後まで読めば、「おもしろいなぁ」と言えるんだろうから、それを期待して頑張るとするか。
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