今日は筆がのってきたので、もう一つ書こう。
標題になっているのは、ラーメン屋である。秋葉原の昭和通り口を出てすぐ左。C&Cカレーの隣を奥に入っていったところにある、うっかりすると見つからないようなラーメン屋である。
ここはもともと新聞の折り込み広告か何かが入ってきてたまたま知り、それで以前に一度入ってみたことがあったお店。ただ、あまり良い印象ではなく、開店したばかりということもあったのでそのまま放置しており、今回はふと思い立ったリトライ。前回、興味を持ったつけ麺を頼んでみた。
一度目はオーソドックスに、普通の醤油ラーメンを食べたのだが、この夏の暑さで体調を崩していたこともあって玉砕。結論から言うと、それほどおいしいとは思わなかった。
ただ、そのときに周りを見ると、つけ麺を頼んでいた人が多く、「つけ麺にした方が良かったかなぁ」と思ったので、今回チャレンジをしてみた。
この店でラーメンとつけ麺の両方を食べた結論として、また再訪するかと言われると、きっと行かない。ただ、不味いかと言われると、そうではない。ハッキリ言うと、中途半端なお店なのである。
理由は簡単で、お客をうならせるほどの良さが見あたらない点にある。麺の堅さも調節できるし、背脂の量も調節できるし、麺の量も中盛や大盛が無料。しかも、お昼にはご飯が付く。至れり尽くせりのようではあるが、どれも目新しいものではなく、なかったからといって困るものでもない。
そして、肝心のラーメンも結構今となってはオーソドックスな味であり、「ああ、よくあるな」という感じ。また、スープも他との差はあるものの、個人的にはそれほどその差がプラスには感じられず、要はボクにとって不味くはないが、うまいと通う程ではないという評価になった。
また、前回のラーメンと比べて、特に今回のつけ麺は結構穴があり、失望させられる点が多かった。
まず麺が平たいすり鉢のような器にのってくるのだが、いろいろな気遣いをしている店にしては抜けており、ザルなどをしかずにそのまま麺を盛って出してくる。だから、最後の方は水びたしの麺を食べることになり、最後の最後には水に沈んだ麺をすくうことになる。これは東池袋の大勝軒のような雑多な雰囲気だったら納得するが、このお店のようにきれいな、気配りの行き届いた雰囲気のコジャレたお店では、ちょっと興ざめである。
そして、出てきた付け汁がまたいただけない。まず、第一にしょっぱい。次に、酸っぱい。最後に、豆板醤の香りであろうか、ちょっと違う香りが生で出てくる。この、生で香る感じがとてもいただけないのだ。
しかも、最後にスープで薄めて飲めというのだが、いくら薄めてもしょっぱいし、酸っぱい。というよりも、熱いスープを加えることで、より酢の酸味と香りが強調され、とてもではないが飲めなくなる。お酢が好きな人なら結構いけるのかもしれないが、私はそれほど酢の物も好きではないので、結構苦手だった。
お店の雰囲気も、店員さんの雰囲気も、お店でやっているサービスも、どれも悪くないし、ラーメンだって不味くはない。うまいか、まずいか、と言われたら、ボクだっておいしいと思うし、へたなラーメン屋にはいるんだったら、ボクはここを選ぶだろう。ただ、積極的にここで食べたいとは思わないし、あそこのラーメンが食べたいと恋しくなるようなこともない。
いい店なんだがなぁとは思うものの、これといって通う程の材料がないのだ。まあ、あと食べていないラーメンとして、ミソラーメンがあるので、これもそのうちに機会があったら挑戦をしてみようとは思うが、この雰囲気だと同様の感想しか持たないのではないかという気がして、まだまだ再訪は先延ばしになりそうな感じだ。
標題になっているのは、ラーメン屋である。秋葉原の昭和通り口を出てすぐ左。C&Cカレーの隣を奥に入っていったところにある、うっかりすると見つからないようなラーメン屋である。
ここはもともと新聞の折り込み広告か何かが入ってきてたまたま知り、それで以前に一度入ってみたことがあったお店。ただ、あまり良い印象ではなく、開店したばかりということもあったのでそのまま放置しており、今回はふと思い立ったリトライ。前回、興味を持ったつけ麺を頼んでみた。
一度目はオーソドックスに、普通の醤油ラーメンを食べたのだが、この夏の暑さで体調を崩していたこともあって玉砕。結論から言うと、それほどおいしいとは思わなかった。
ただ、そのときに周りを見ると、つけ麺を頼んでいた人が多く、「つけ麺にした方が良かったかなぁ」と思ったので、今回チャレンジをしてみた。
この店でラーメンとつけ麺の両方を食べた結論として、また再訪するかと言われると、きっと行かない。ただ、不味いかと言われると、そうではない。ハッキリ言うと、中途半端なお店なのである。
理由は簡単で、お客をうならせるほどの良さが見あたらない点にある。麺の堅さも調節できるし、背脂の量も調節できるし、麺の量も中盛や大盛が無料。しかも、お昼にはご飯が付く。至れり尽くせりのようではあるが、どれも目新しいものではなく、なかったからといって困るものでもない。
そして、肝心のラーメンも結構今となってはオーソドックスな味であり、「ああ、よくあるな」という感じ。また、スープも他との差はあるものの、個人的にはそれほどその差がプラスには感じられず、要はボクにとって不味くはないが、うまいと通う程ではないという評価になった。
また、前回のラーメンと比べて、特に今回のつけ麺は結構穴があり、失望させられる点が多かった。
まず麺が平たいすり鉢のような器にのってくるのだが、いろいろな気遣いをしている店にしては抜けており、ザルなどをしかずにそのまま麺を盛って出してくる。だから、最後の方は水びたしの麺を食べることになり、最後の最後には水に沈んだ麺をすくうことになる。これは東池袋の大勝軒のような雑多な雰囲気だったら納得するが、このお店のようにきれいな、気配りの行き届いた雰囲気のコジャレたお店では、ちょっと興ざめである。
そして、出てきた付け汁がまたいただけない。まず、第一にしょっぱい。次に、酸っぱい。最後に、豆板醤の香りであろうか、ちょっと違う香りが生で出てくる。この、生で香る感じがとてもいただけないのだ。
しかも、最後にスープで薄めて飲めというのだが、いくら薄めてもしょっぱいし、酸っぱい。というよりも、熱いスープを加えることで、より酢の酸味と香りが強調され、とてもではないが飲めなくなる。お酢が好きな人なら結構いけるのかもしれないが、私はそれほど酢の物も好きではないので、結構苦手だった。
お店の雰囲気も、店員さんの雰囲気も、お店でやっているサービスも、どれも悪くないし、ラーメンだって不味くはない。うまいか、まずいか、と言われたら、ボクだっておいしいと思うし、へたなラーメン屋にはいるんだったら、ボクはここを選ぶだろう。ただ、積極的にここで食べたいとは思わないし、あそこのラーメンが食べたいと恋しくなるようなこともない。
いい店なんだがなぁとは思うものの、これといって通う程の材料がないのだ。まあ、あと食べていないラーメンとして、ミソラーメンがあるので、これもそのうちに機会があったら挑戦をしてみようとは思うが、この雰囲気だと同様の感想しか持たないのではないかという気がして、まだまだ再訪は先延ばしになりそうな感じだ。
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総務部総務課 山口六平太 「プロジェクトα」
2004年9月21日 読書 コンビニで売っている、My First Bigシリーズのアンコール版。
このシリーズはボクのお気に入りで、300円で買える上に、手軽に読めて、しかも関連のある話がきちんとまとまっているので非常に読みやすい。普通だと、一連の話が二つの巻にまたがって載っていたりするが、これだとそれがないので、先が気になり欲求不満になることもない。本当にいい本なのである。
今回は、ダイニチ・ロシナンテが産まれるまでの一件を扱っている。29巻から33巻までに散らばっている作品が一つにまとまっているので、これこそまさにMy First Bigシリーズの醍醐味とも言えるような本に仕上がっている。
内容としても、サラリーマンとしてはあこがれる内容で、社内プロジェクトを自分たちで立ち上げて、それを成功させるという筋書き。ああ、自分もこんな風に夢を実現できたらなぁとは思うものの、スーパーマンである山口六平太の存在が非常に大きいので、結局こういう人がいないとダメなんだろうなとも思わされる。そういう意味では、理想と現実の差を思い知らされる一品でもある。
ただ、そうはいっても、今やおじさんたちには『プロジェクトX』が好まれ、若者には『起業家ブーム』なるものが起きている現在においては、かつてと比べれば、それほど夢物語ではなくなったのかもしれない。
してみると、世の中の変化は非常にゆっくりではあるけれども、実は大きく変わっているのではないかと思わされる。世の中が変わっている以上、ボク自身も変わらないといけないと思うのだが、う〜ん、果たしてうまく変われているのだろうか。自分でも疑問だ。
ちなみに、ダイニチ・ロシナンテはいろいろな形を追求しつつも、最終的にはオープンカーになっている。マンガが先か、実物が先かはわからないが、ダイニチのモデルといわれるダイハツは、似たような車でコペンという車を出している。どちらが先だったのかは詳しくないので知らないが、現実が後だとしたら、結構ダイハツもやる会社じゃないかと賛辞を送りたい気がする。
このシリーズはボクのお気に入りで、300円で買える上に、手軽に読めて、しかも関連のある話がきちんとまとまっているので非常に読みやすい。普通だと、一連の話が二つの巻にまたがって載っていたりするが、これだとそれがないので、先が気になり欲求不満になることもない。本当にいい本なのである。
今回は、ダイニチ・ロシナンテが産まれるまでの一件を扱っている。29巻から33巻までに散らばっている作品が一つにまとまっているので、これこそまさにMy First Bigシリーズの醍醐味とも言えるような本に仕上がっている。
内容としても、サラリーマンとしてはあこがれる内容で、社内プロジェクトを自分たちで立ち上げて、それを成功させるという筋書き。ああ、自分もこんな風に夢を実現できたらなぁとは思うものの、スーパーマンである山口六平太の存在が非常に大きいので、結局こういう人がいないとダメなんだろうなとも思わされる。そういう意味では、理想と現実の差を思い知らされる一品でもある。
ただ、そうはいっても、今やおじさんたちには『プロジェクトX』が好まれ、若者には『起業家ブーム』なるものが起きている現在においては、かつてと比べれば、それほど夢物語ではなくなったのかもしれない。
してみると、世の中の変化は非常にゆっくりではあるけれども、実は大きく変わっているのではないかと思わされる。世の中が変わっている以上、ボク自身も変わらないといけないと思うのだが、う〜ん、果たしてうまく変われているのだろうか。自分でも疑問だ。
ちなみに、ダイニチ・ロシナンテはいろいろな形を追求しつつも、最終的にはオープンカーになっている。マンガが先か、実物が先かはわからないが、ダイニチのモデルといわれるダイハツは、似たような車でコペンという車を出している。どちらが先だったのかは詳しくないので知らないが、現実が後だとしたら、結構ダイハツもやる会社じゃないかと賛辞を送りたい気がする。
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あえてテレビ論を一つ。
ボクはかなりの”テレビっ子”だ。昔からテレビが大好きで、かなり昔の頃から深夜番組も見ていた。
でも、ここのところ、パワーのある番組が少ない。企画力で勝負をしてくれる番組が少ない。
ボクが好きだったのは、今でも知られているものとしては「やっぱりねこが好き」とか、「カノッサの屈辱」。またはあまり知られていないものでは、「IQエンジン」。どれも似たような時期の作品だ。
これらの共通点は、それほどお金がかかっていないこと。美術さんや衣装さんの負担はあったかもしれないが、コスト的にはあまりかからないこと。それでいて面白いことである。
最近では、「トリビアの泉」も良かったし、初期の「マネーの虎」も良かった。ただ、「トリビアの泉」はかなりラジオ的だし、「マネーの虎」は出演者の負担が大きく、しかも出演するに値する人を見つけるのが大変だったから、そういう意味では長続きするのは難しい側面があった。
ボクはあまり知られていない芸能人や、少なくとも今現在は旬とは言えない芸能人を使いながら、その人を輝かせるような企画が好きだ。その芸能人を一躍ときの人に押し上げるような企画。そんな企画を私は深夜番組でやって欲しいのだ。
最近、私は「水曜どうでしょう」という番組にハマっているが、これもHTBという北海道のローカル局が低予算で作った番組だ。でも、その低予算な中での面白さがある。
低予算だから面白いというわけではないが、低予算でもできる面白さはある。だから、もっともっとテレビには深夜という時間帯を使って冒険をして欲しい。芸能人に頼らない番組を作って欲しいのだ。
実は、過去に非常にインパクトを与えてくれた番組がある。名前は忘れたが、その番組では『サイコロが本当に6分の1の確率で出るのか実験する』と称して、本当にサイコロを解説付で映し続けた。ハッキリ言って面白い番組ではなく、すぐに終了したと思うが、あまりにバカバカしいので、強いインパクトだけが残っている。
こんな話を取り上げたのは他でもない。そんな番組を今作る勇気のあるチャンネルがあるかということを疑問に思ったからである。しかし、かつてのフジテレビは、それをやっていたのである。そして、その中から面白い番組を出てきたのである。
番組にはスポンサーがいる以上、外したら大変なことになるのはよくわかる。でも、それを恐れずに突き進むパワーを忘れては、面白いものは作れないのではないか。そんな気がする。
ボクはかなりの”テレビっ子”だ。昔からテレビが大好きで、かなり昔の頃から深夜番組も見ていた。
でも、ここのところ、パワーのある番組が少ない。企画力で勝負をしてくれる番組が少ない。
ボクが好きだったのは、今でも知られているものとしては「やっぱりねこが好き」とか、「カノッサの屈辱」。またはあまり知られていないものでは、「IQエンジン」。どれも似たような時期の作品だ。
これらの共通点は、それほどお金がかかっていないこと。美術さんや衣装さんの負担はあったかもしれないが、コスト的にはあまりかからないこと。それでいて面白いことである。
最近では、「トリビアの泉」も良かったし、初期の「マネーの虎」も良かった。ただ、「トリビアの泉」はかなりラジオ的だし、「マネーの虎」は出演者の負担が大きく、しかも出演するに値する人を見つけるのが大変だったから、そういう意味では長続きするのは難しい側面があった。
ボクはあまり知られていない芸能人や、少なくとも今現在は旬とは言えない芸能人を使いながら、その人を輝かせるような企画が好きだ。その芸能人を一躍ときの人に押し上げるような企画。そんな企画を私は深夜番組でやって欲しいのだ。
最近、私は「水曜どうでしょう」という番組にハマっているが、これもHTBという北海道のローカル局が低予算で作った番組だ。でも、その低予算な中での面白さがある。
低予算だから面白いというわけではないが、低予算でもできる面白さはある。だから、もっともっとテレビには深夜という時間帯を使って冒険をして欲しい。芸能人に頼らない番組を作って欲しいのだ。
実は、過去に非常にインパクトを与えてくれた番組がある。名前は忘れたが、その番組では『サイコロが本当に6分の1の確率で出るのか実験する』と称して、本当にサイコロを解説付で映し続けた。ハッキリ言って面白い番組ではなく、すぐに終了したと思うが、あまりにバカバカしいので、強いインパクトだけが残っている。
こんな話を取り上げたのは他でもない。そんな番組を今作る勇気のあるチャンネルがあるかということを疑問に思ったからである。しかし、かつてのフジテレビは、それをやっていたのである。そして、その中から面白い番組を出てきたのである。
番組にはスポンサーがいる以上、外したら大変なことになるのはよくわかる。でも、それを恐れずに突き進むパワーを忘れては、面白いものは作れないのではないか。そんな気がする。
夜、そんな名前の番組をやっていた。
でも、いつも変だと思う。
ていうか、いつも途中で飽きる。
それでも、テレ朝は頑張って放送してる。
よく飽きもせずやるなあと思うのだが、結構需要があるのだろう。
こういう番組をやると、三つのパターンがある。
?ハッピーエンド
?アンハッピーエンド
?自然消滅
ハッピーエンドのパターンは、だいたいが家出人や幼くして生き別れた家族(通常は母親)で、うまく再会して涙のご対面をするケース。もうパターン化されているので、見ていても安心してみることができ、泣くことに飢えている人は、これで泣くことができる。
アンハッピーエンドのパターンは、バッドエンドと、良くも悪くもないパターンがある。バッドエンドとしては、再会したいと思ったら断られたパターンがあり、どちらとも言えない微妙なパターンとしては、もう死んでいたというパターンがある。これは、通常番組ではドッカーンと結果として取り上げるものの、それ以上はネタにならないので、それで収束していくだけ。今まで番組を引っ張ってくれてありがとうというパターンである。
最後に、自然消滅のパターンは解決することもなく、有力な情報もなく、そのまま何となく消えていくパターンである。その代表例は、殺人事件などがある。
未解決事件を解決するなどとぶちあげ、アメリカあたりの超能力者を連れてきて透視するのだが、全く解決しない。いいところまでいっているように見せかけるのだが、はっきり言って根拠のない透視による結論だから、「こんな新事実が!」と騒いでいるものの、実際には何も進んでいない。だから、結局何も解決しない。これはかなり、テレビ側も確信犯なのであろうと思う。
さて、そんな視点から今日の番組を見ていたら、今日は殺人事件が2件だったので、ぶちあげた割りには実りは小さかった。そして、1件は家出事件だったが、本人が電話をかけてきて会いたくないと言ってるし、おおよその場所を聞いて肝心のオヤジに心当たりがあるというのだから、かなりの率で、別れた母親のところにいる(?)と思わされる展開。しかも、このオヤジ。親権を取っておきながら、経済上の理由などで娘を施設に入れたというのだから、あまり同情の余地はない。
ところが、それでもテレビでは未成年を強調して、ネタを引っ張ってる。
これがもとで、別れた夫婦の間で誘拐騒ぎがあっても知らないぞ!と思いながら見ていたのだが、結局あれはどういう結末を迎えたのであろうか。少なくともハッピーエンドにはならないと思うのだが、そうなると今回はハッピーエンド無しのパターンか?
おいおい、なんだかんだ言って見てるじゃねぇか、と言われそうだが、今回は自分の住んでいるところの近くで起った殺人事件が扱われるというから見てみただけ。結局は、外国人ストーカーの犯行みたいな透視結果でごまかしていたが、付近の外国人比率を考えたら、誰も傷つけない、妥当な結論といったところか。
見てはみたものの、なんとなく面白いという感じがない。来週見るかと言われると、もう別にいいかと思わされる。ただ、冷静に見ていると、かなり計算された展開であるような気もする。裏に構成作家がいて、台本があって、ストーリー展開も考えられていて、おおよその結末も考えられている感じ。もしこれに事実というおもしろスパイスが運良く飛び込んできたら、うまく利用しようと言うくらい?そんな匂いがスゴくする。
ああ、今日は何を言いたいのかわからなくなってきたが、とにかく見てる人は乗せられてるなって思ったのと、やっぱりテレビ番組だなって思ったことが言いたかっただけ。
もうちょっと文章力を磨かないと、うまく表現できないものだなと、ちょっと反省してから寝ることにしようかな。
でも、いつも変だと思う。
ていうか、いつも途中で飽きる。
それでも、テレ朝は頑張って放送してる。
よく飽きもせずやるなあと思うのだが、結構需要があるのだろう。
こういう番組をやると、三つのパターンがある。
?ハッピーエンド
?アンハッピーエンド
?自然消滅
ハッピーエンドのパターンは、だいたいが家出人や幼くして生き別れた家族(通常は母親)で、うまく再会して涙のご対面をするケース。もうパターン化されているので、見ていても安心してみることができ、泣くことに飢えている人は、これで泣くことができる。
アンハッピーエンドのパターンは、バッドエンドと、良くも悪くもないパターンがある。バッドエンドとしては、再会したいと思ったら断られたパターンがあり、どちらとも言えない微妙なパターンとしては、もう死んでいたというパターンがある。これは、通常番組ではドッカーンと結果として取り上げるものの、それ以上はネタにならないので、それで収束していくだけ。今まで番組を引っ張ってくれてありがとうというパターンである。
最後に、自然消滅のパターンは解決することもなく、有力な情報もなく、そのまま何となく消えていくパターンである。その代表例は、殺人事件などがある。
未解決事件を解決するなどとぶちあげ、アメリカあたりの超能力者を連れてきて透視するのだが、全く解決しない。いいところまでいっているように見せかけるのだが、はっきり言って根拠のない透視による結論だから、「こんな新事実が!」と騒いでいるものの、実際には何も進んでいない。だから、結局何も解決しない。これはかなり、テレビ側も確信犯なのであろうと思う。
さて、そんな視点から今日の番組を見ていたら、今日は殺人事件が2件だったので、ぶちあげた割りには実りは小さかった。そして、1件は家出事件だったが、本人が電話をかけてきて会いたくないと言ってるし、おおよその場所を聞いて肝心のオヤジに心当たりがあるというのだから、かなりの率で、別れた母親のところにいる(?)と思わされる展開。しかも、このオヤジ。親権を取っておきながら、経済上の理由などで娘を施設に入れたというのだから、あまり同情の余地はない。
ところが、それでもテレビでは未成年を強調して、ネタを引っ張ってる。
これがもとで、別れた夫婦の間で誘拐騒ぎがあっても知らないぞ!と思いながら見ていたのだが、結局あれはどういう結末を迎えたのであろうか。少なくともハッピーエンドにはならないと思うのだが、そうなると今回はハッピーエンド無しのパターンか?
おいおい、なんだかんだ言って見てるじゃねぇか、と言われそうだが、今回は自分の住んでいるところの近くで起った殺人事件が扱われるというから見てみただけ。結局は、外国人ストーカーの犯行みたいな透視結果でごまかしていたが、付近の外国人比率を考えたら、誰も傷つけない、妥当な結論といったところか。
見てはみたものの、なんとなく面白いという感じがない。来週見るかと言われると、もう別にいいかと思わされる。ただ、冷静に見ていると、かなり計算された展開であるような気もする。裏に構成作家がいて、台本があって、ストーリー展開も考えられていて、おおよその結末も考えられている感じ。もしこれに事実というおもしろスパイスが運良く飛び込んできたら、うまく利用しようと言うくらい?そんな匂いがスゴくする。
ああ、今日は何を言いたいのかわからなくなってきたが、とにかく見てる人は乗せられてるなって思ったのと、やっぱりテレビ番組だなって思ったことが言いたかっただけ。
もうちょっと文章力を磨かないと、うまく表現できないものだなと、ちょっと反省してから寝ることにしようかな。
秋葉原はドンドンとスゴいことになっているようだ。以前はあそこまでは、いってなかった気がする。
確かに、前々からオタクの街という感じはあった。でも、それはパソコンを自作したり、マザーボードとメモリの相性などを詳しく知っていたりという、まだ工学部系の匂いを残したオタクだった。
でも、今は違う。アニメ文化がそのまま入り込んでいる。いや、アニメというのが正しいのかもよくわからない。アニメの定義にもよるのだろうが、きっと広義のアニメというべきなのだろう。
昔、『To Heart』というエロゲーに出てくる、「マルチ」というキャラクターのコスプレを見たときなどは、
「えっ、エロゲーのコスプレを女の子がしてるの?」
と驚いたものだが、今だったらほとんど驚かない。恋愛シミュレーションゲームという分類の中には、その中にSEXシーンが入っているものもあれば、いないものもある。ただそれだけのことなのだと思えるようになったのだ。
この変化が正しいのか、おかしいのか、自分でもよくわからない。でも、このように考えるようになったからこそ、エロゲーでさえ、広義のアニメと受け入れられるようになったのであろうと思う。
で、最近のアキバであるが、どうもそういうものが雑多な感じで当たり前に並ぶようになったと思う。H系のアニメやゲームなどが当たり前に並んでいる一方で、普通のかわいいアニメのキャラも並んでいる。しかも、コスプレの衣装が並び始めたから、なんだか洋服屋さんの様相も呈している。はっきりいって、本当に何がなんだかわからない世界。それでいて、昔ながらの電気屋さんも、パソコンの部品ショップもあるのだから、これはスゴい。
時代の移り変わりによって、街の様相というのは変わるものなのだろうが、アキバという街を見ていると、なんだか日本という国をいろいろな意味で象徴しているような気がする。詳細はまた後日書きたいと思うが、今日も歩いていて、ふとそんなことを感じてしまった。
確かに、前々からオタクの街という感じはあった。でも、それはパソコンを自作したり、マザーボードとメモリの相性などを詳しく知っていたりという、まだ工学部系の匂いを残したオタクだった。
でも、今は違う。アニメ文化がそのまま入り込んでいる。いや、アニメというのが正しいのかもよくわからない。アニメの定義にもよるのだろうが、きっと広義のアニメというべきなのだろう。
昔、『To Heart』というエロゲーに出てくる、「マルチ」というキャラクターのコスプレを見たときなどは、
「えっ、エロゲーのコスプレを女の子がしてるの?」
と驚いたものだが、今だったらほとんど驚かない。恋愛シミュレーションゲームという分類の中には、その中にSEXシーンが入っているものもあれば、いないものもある。ただそれだけのことなのだと思えるようになったのだ。
この変化が正しいのか、おかしいのか、自分でもよくわからない。でも、このように考えるようになったからこそ、エロゲーでさえ、広義のアニメと受け入れられるようになったのであろうと思う。
で、最近のアキバであるが、どうもそういうものが雑多な感じで当たり前に並ぶようになったと思う。H系のアニメやゲームなどが当たり前に並んでいる一方で、普通のかわいいアニメのキャラも並んでいる。しかも、コスプレの衣装が並び始めたから、なんだか洋服屋さんの様相も呈している。はっきりいって、本当に何がなんだかわからない世界。それでいて、昔ながらの電気屋さんも、パソコンの部品ショップもあるのだから、これはスゴい。
時代の移り変わりによって、街の様相というのは変わるものなのだろうが、アキバという街を見ていると、なんだか日本という国をいろいろな意味で象徴しているような気がする。詳細はまた後日書きたいと思うが、今日も歩いていて、ふとそんなことを感じてしまった。
プロ野球ストと新聞
2004年9月18日 今日からプロ野球はストに突入した。我が家は読売新聞を取っている。そこで、朝起きて新聞を読んでみたところ、非常に驚いた。今も夕刊が届いたので見てみたが、まさに同じ。完全なる経営者びいきである。
選手会を非難し、ストに根拠がないことを強調し、ファンの声も非難の声を取り上げる。ここまで徹底していると、むしろ気持ちがいいくらいだ。
朝日新聞のサイトを見てみると、来年度から新球団を参入できるようにして欲しいという選手会の要望に対しては、巨人を除くセリーグ5球団と日本ハムが同調したが、巨人とオリックスの強い反対にあって、経営者側の意見が真っ二つに割れてしまい、結局ストに突入したという記事がある。しかし当然ながら、そんなことは読売新聞では全く報道されていない。
ポイントとなっている来年度の新規参入については、時間が足りないのだということがしきりに言われている。でも、どうだろう。それに強く反対をしているのは、巨人とオリックスである。それぞれ、その反対理由は他のところにあることが明らかな球団である。
巨人は、前オーナーが1リーグ制にしたがっている。
オリックスは、楽天に神戸で参入されると非常に困る。
どちらも、来年どころか、再来年だって入れたくないと思っている球団だ。
そして、残りのパリーグ4球団は、1リーグ制にしたい以上は、新しい球団を入れるわけにはいかないということだろう。
それに対して、賛成の球団も複雑だ。
セリーグ5球団は、巨人戦を減らしたくないから、そもそも2リーグを維持したい。
日本ハムはよくわからないが、新天地の北海道でうまくいきかけているところであるから、もともと今回の再編とはちょっと距離を取っており、むしろストの影響を受けたくないといったところであろうか。
どちらにしろ、それぞれがそれぞれの立場による交渉をして、それぞれの立場から一歩も引き下がることができず、議論が硬直化して、最終的にはストに突入したというが、本当のところであるらしい。
何ともお粗末な話である。
これではなんのための交渉なのかわからない。
交渉というのは相手の立場や利益などを聞いた上で、自分の利益などと総合的に考えて、両者にとって良い方策を探るというのがその目的のはずである。ところが、自分の立場に凝り固まってしまい、交渉のテーブルについたところでオーナーのご意向を受けて座っているだけ。あとは、それこそ官僚や政治家がお得意の「遺憾」とか、「善処」とか、「努力」といったような、約束にも何もならないような言葉を並べてごまかそうとするばかり。これでは本当にガキの使いである。
だいたい、そんな交渉だったら私だってできる。来年度の年俸を上げて欲しいと言われたら、「2倍の金額が払えるように最大限の努力をする」と約束をする。で、実際に払う段階になって半分に下げたとしても、「いや、あそこで約束したのは『努力をする』ことであって、上げることではない」と言えばいい。今回の参入も同じだ。努力をしたが、ダメだったなどと、あとから適当に言いつくろうことはいくらでもできる。いや、むしろあとからいろいろな書類を新規参入の球団に対してふっかけて、そろわないと認められないと言い張った上で、書類がそろわなかったので来年にする、と言うのをジッと待つのもいい。まあ、要は具体的でない以上はなんとでもなるということだ。
実際、あそこに座っていた球団社長なる人物には、その程度の権限しか与えられずに交渉の場まで来てしまったのだろう。今回、どこぞの球団でも明らかになったように、球団社長などは社内人事の一環みたいなものであり、オーナーのご意向で明日にでも辞任させることができる。今回の交渉だって球団社長によっては、下手に妥協をして戻ったりすれば、すぐにでも社長を辞任することになり、しかも他の関連会社で雇ってもらうこともできないといった状況に追い込まれるかもしれない。それはもう必死になるであろう。
有識者の中には、なぜもっと話し合いをしてストを回避できるようにしなかったのだという人もいる。でも、私はそもそもこの交渉においては、何も決まらない構図ができあがっていたのではないかという気がする。そして、オーナーはせいぜい選手会が妥協して折れるのを待っていたのではないかという気がする。ところが、折れなかったからこそストが発動してしまい、このような大問題に発展してしまった。そう考えてみると、ストは選手会が決めたように思われているが、どうも決めさせられたのに過ぎないのではないかという気がしてくる。二つのイバラの道を示され、飼い犬に手を噛まれた気になっている飼い主のもとへシッポを振って戻るのか、それとももう一度噛みつくのかを迫られた。そして、思わず噛みついてしまった。そんなことだったような気がする。
そして今、思わぬ方向に話が進んだことに怒りを持っている男がいるのではないかと思う。選手ごときがオーナーの意のままにならないことに腹を立てている男がいるのではないだろうか。そして、選手会への非難の声を増やそうと躍起になっている男がいるのではないか。そんな風に新聞を読みながら思ってしまった。
選手会を非難し、ストに根拠がないことを強調し、ファンの声も非難の声を取り上げる。ここまで徹底していると、むしろ気持ちがいいくらいだ。
朝日新聞のサイトを見てみると、来年度から新球団を参入できるようにして欲しいという選手会の要望に対しては、巨人を除くセリーグ5球団と日本ハムが同調したが、巨人とオリックスの強い反対にあって、経営者側の意見が真っ二つに割れてしまい、結局ストに突入したという記事がある。しかし当然ながら、そんなことは読売新聞では全く報道されていない。
ポイントとなっている来年度の新規参入については、時間が足りないのだということがしきりに言われている。でも、どうだろう。それに強く反対をしているのは、巨人とオリックスである。それぞれ、その反対理由は他のところにあることが明らかな球団である。
巨人は、前オーナーが1リーグ制にしたがっている。
オリックスは、楽天に神戸で参入されると非常に困る。
どちらも、来年どころか、再来年だって入れたくないと思っている球団だ。
そして、残りのパリーグ4球団は、1リーグ制にしたい以上は、新しい球団を入れるわけにはいかないということだろう。
それに対して、賛成の球団も複雑だ。
セリーグ5球団は、巨人戦を減らしたくないから、そもそも2リーグを維持したい。
日本ハムはよくわからないが、新天地の北海道でうまくいきかけているところであるから、もともと今回の再編とはちょっと距離を取っており、むしろストの影響を受けたくないといったところであろうか。
どちらにしろ、それぞれがそれぞれの立場による交渉をして、それぞれの立場から一歩も引き下がることができず、議論が硬直化して、最終的にはストに突入したというが、本当のところであるらしい。
何ともお粗末な話である。
これではなんのための交渉なのかわからない。
交渉というのは相手の立場や利益などを聞いた上で、自分の利益などと総合的に考えて、両者にとって良い方策を探るというのがその目的のはずである。ところが、自分の立場に凝り固まってしまい、交渉のテーブルについたところでオーナーのご意向を受けて座っているだけ。あとは、それこそ官僚や政治家がお得意の「遺憾」とか、「善処」とか、「努力」といったような、約束にも何もならないような言葉を並べてごまかそうとするばかり。これでは本当にガキの使いである。
だいたい、そんな交渉だったら私だってできる。来年度の年俸を上げて欲しいと言われたら、「2倍の金額が払えるように最大限の努力をする」と約束をする。で、実際に払う段階になって半分に下げたとしても、「いや、あそこで約束したのは『努力をする』ことであって、上げることではない」と言えばいい。今回の参入も同じだ。努力をしたが、ダメだったなどと、あとから適当に言いつくろうことはいくらでもできる。いや、むしろあとからいろいろな書類を新規参入の球団に対してふっかけて、そろわないと認められないと言い張った上で、書類がそろわなかったので来年にする、と言うのをジッと待つのもいい。まあ、要は具体的でない以上はなんとでもなるということだ。
実際、あそこに座っていた球団社長なる人物には、その程度の権限しか与えられずに交渉の場まで来てしまったのだろう。今回、どこぞの球団でも明らかになったように、球団社長などは社内人事の一環みたいなものであり、オーナーのご意向で明日にでも辞任させることができる。今回の交渉だって球団社長によっては、下手に妥協をして戻ったりすれば、すぐにでも社長を辞任することになり、しかも他の関連会社で雇ってもらうこともできないといった状況に追い込まれるかもしれない。それはもう必死になるであろう。
有識者の中には、なぜもっと話し合いをしてストを回避できるようにしなかったのだという人もいる。でも、私はそもそもこの交渉においては、何も決まらない構図ができあがっていたのではないかという気がする。そして、オーナーはせいぜい選手会が妥協して折れるのを待っていたのではないかという気がする。ところが、折れなかったからこそストが発動してしまい、このような大問題に発展してしまった。そう考えてみると、ストは選手会が決めたように思われているが、どうも決めさせられたのに過ぎないのではないかという気がしてくる。二つのイバラの道を示され、飼い犬に手を噛まれた気になっている飼い主のもとへシッポを振って戻るのか、それとももう一度噛みつくのかを迫られた。そして、思わず噛みついてしまった。そんなことだったような気がする。
そして今、思わぬ方向に話が進んだことに怒りを持っている男がいるのではないかと思う。選手ごときがオーナーの意のままにならないことに腹を立てている男がいるのではないだろうか。そして、選手会への非難の声を増やそうと躍起になっている男がいるのではないか。そんな風に新聞を読みながら思ってしまった。
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交渉決裂、スト決行へ [日刊スポーツ]
2004年9月17日 時事ニュース
なんてこった!
結局、一週間先延ばしにしても、球団側は譲歩をするつもりはなかったらしい。曖昧な言葉を連ねて、ごまかそうとしたのだろうが、もう問題が大きくなりすぎて、選手会側もそんなごまかしに乗るわけにはいかなかったのだろう。
会見を見ていても、球団社長たちにストを回避したいという意思はあまり感じられない。むしろスト自体は覚悟を決めていたように見える。しかも選手会側に損害賠償をしようというくらいだから、ストを自分たちの痛みとしては感じていなかったということだろう。
だいたい、球団社長なんぞというものが出てきて、いったい何ができるというのだろう。結局、オーナーたちの了解を得た条件をもってきて、それを選手たちに突きつけ、なんとかこちらの立場を理解して承諾しろと迫っただけではないか。そもそも譲歩をする権限も何もない人間が出てきているのだから、交渉など成立するわけがない。ストが回避されるわけもないのだ。
また、いろいろな状況が変わりつつあることを、オーナーたちはどこまでわかっているのだろう。特に、オリックスは事態の大きさを考えるべきではないのだろうか。
今まで「がんばろう、神戸」などと言って、神戸に密着した球団作りをしてきたはずが、気が付いたら大阪の球団になろうとしている。読みとしては、神戸と両方を手中に入れるつもりだったのだろうが、今や楽天市場が出てきてしまった。このままいけば、楽天が神戸の球団となり、オリックスは神戸から追い出されることになるだろう。しかも、楽天はサッカーでも実績を持っている。楽天が、野球とサッカーの両方を神戸で持つようになれば、神戸においては野球とサッカーのチームが共同してイベントを開いたりすることが容易になるだろう。これはむしろ楽しみなことだ。
このままいけば、オリックスは結果として長年の積み重ねを全て捨てて、ただ単に近鉄を買い、赤字を肩代わりするだけに終わるであろう。
果たして、そんな計画にメリットがあるのだろうか?
そんな風に考えると、とても中長期的に見て、オリックスにメリットがあるとは思われない。近鉄は赤字球団を手放すことができて良いのかもしれないが、オリックスはデメリットしかないのではないかという気さえする。
そう考えてみると、オーナー会議で決めたからといって、今の方針にこだわることにメリットがあるとは、あまり感じられない。たとえ2006年度に先延ばしをしたとしても、神戸に楽天球団ができてしまえば、オリックスの合併メリットは半減どころか、下手をしたらマイナスにもなりかねないのだ。
オリックスのオーナーは非常に頭の良い人だったはずだ。そろそろ状況の変化を読み取って、方針転換を図った方が、メリットは大きいのではないかと思うのだが、そんな意見は選手に肩入れしすぎていて、彼には受け入れてもらえないのだろうか?
結局、一週間先延ばしにしても、球団側は譲歩をするつもりはなかったらしい。曖昧な言葉を連ねて、ごまかそうとしたのだろうが、もう問題が大きくなりすぎて、選手会側もそんなごまかしに乗るわけにはいかなかったのだろう。
会見を見ていても、球団社長たちにストを回避したいという意思はあまり感じられない。むしろスト自体は覚悟を決めていたように見える。しかも選手会側に損害賠償をしようというくらいだから、ストを自分たちの痛みとしては感じていなかったということだろう。
だいたい、球団社長なんぞというものが出てきて、いったい何ができるというのだろう。結局、オーナーたちの了解を得た条件をもってきて、それを選手たちに突きつけ、なんとかこちらの立場を理解して承諾しろと迫っただけではないか。そもそも譲歩をする権限も何もない人間が出てきているのだから、交渉など成立するわけがない。ストが回避されるわけもないのだ。
また、いろいろな状況が変わりつつあることを、オーナーたちはどこまでわかっているのだろう。特に、オリックスは事態の大きさを考えるべきではないのだろうか。
今まで「がんばろう、神戸」などと言って、神戸に密着した球団作りをしてきたはずが、気が付いたら大阪の球団になろうとしている。読みとしては、神戸と両方を手中に入れるつもりだったのだろうが、今や楽天市場が出てきてしまった。このままいけば、楽天が神戸の球団となり、オリックスは神戸から追い出されることになるだろう。しかも、楽天はサッカーでも実績を持っている。楽天が、野球とサッカーの両方を神戸で持つようになれば、神戸においては野球とサッカーのチームが共同してイベントを開いたりすることが容易になるだろう。これはむしろ楽しみなことだ。
このままいけば、オリックスは結果として長年の積み重ねを全て捨てて、ただ単に近鉄を買い、赤字を肩代わりするだけに終わるであろう。
果たして、そんな計画にメリットがあるのだろうか?
そんな風に考えると、とても中長期的に見て、オリックスにメリットがあるとは思われない。近鉄は赤字球団を手放すことができて良いのかもしれないが、オリックスはデメリットしかないのではないかという気さえする。
そう考えてみると、オーナー会議で決めたからといって、今の方針にこだわることにメリットがあるとは、あまり感じられない。たとえ2006年度に先延ばしをしたとしても、神戸に楽天球団ができてしまえば、オリックスの合併メリットは半減どころか、下手をしたらマイナスにもなりかねないのだ。
オリックスのオーナーは非常に頭の良い人だったはずだ。そろそろ状況の変化を読み取って、方針転換を図った方が、メリットは大きいのではないかと思うのだが、そんな意見は選手に肩入れしすぎていて、彼には受け入れてもらえないのだろうか?
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忙しいので読む気はなかったのだが、新シリーズと言うことで、ふと本屋で手に取ってしまったのが運の尽き。そのまま一晩かけて読了してしまった。
面白いかと言われると結構微妙で、最後まで読み進める原動力はあるが、再読したいと思わせるほどの原動力はない。そんな感じ。きっと本棚に並んでいても、再度手に取ることはないだろうが、ブックオフで売るまではいかない。少なくともボクにとってはそんな価値でしかなかった。
今回は新シリーズと言うことで、新キャラクターもたくさん登場するから、その役割分担が見えない分、読んでいてもその関係を知るのに苦労するし、イメージをつかむのも難しい。きっとそこらへんが、今回のような感想を抱く原因なんだろうとは思うのだが、『すべてがFになる』はすんなりと入ることができ、再読したこともあることを考えれば、やはりパンチが弱いと言えるのかもしれない。
また、トリックで読ませると言うより、ストーリーや設定などで読ませる展開は相変わらずで、すごいトリックが隠されているのかと期待すると、期待はずれに終わる。やはり人間関係や、理系的思考法みたいなものを楽しむのが正しいようだ。
そういう意味では、『すべてがFになる』では天才ばかりが登場していたため、その非凡な思考方法などが強調されていたのに対し、今回は普通の一般人が多く出てくるので、そういった部分が減ってしまい、それに伴って魅力が半減したと言えるかもしれない。
とは言え、じゃあ次回作を買わないかと言われると、やはり買ってしまうわけで、この微妙な物足りなさが、次の作品を買わせる原動力になっているのかもしれない。
賭け事の心理として、当たる確率が低ければ低いほどハマる、という研究を見たことがあるが、この微妙な外し具合も、森先生の計算のうちだったとしたら、ボクは完全に術中にハマっていると言えるのだろう。
面白いかと言われると結構微妙で、最後まで読み進める原動力はあるが、再読したいと思わせるほどの原動力はない。そんな感じ。きっと本棚に並んでいても、再度手に取ることはないだろうが、ブックオフで売るまではいかない。少なくともボクにとってはそんな価値でしかなかった。
今回は新シリーズと言うことで、新キャラクターもたくさん登場するから、その役割分担が見えない分、読んでいてもその関係を知るのに苦労するし、イメージをつかむのも難しい。きっとそこらへんが、今回のような感想を抱く原因なんだろうとは思うのだが、『すべてがFになる』はすんなりと入ることができ、再読したこともあることを考えれば、やはりパンチが弱いと言えるのかもしれない。
また、トリックで読ませると言うより、ストーリーや設定などで読ませる展開は相変わらずで、すごいトリックが隠されているのかと期待すると、期待はずれに終わる。やはり人間関係や、理系的思考法みたいなものを楽しむのが正しいようだ。
そういう意味では、『すべてがFになる』では天才ばかりが登場していたため、その非凡な思考方法などが強調されていたのに対し、今回は普通の一般人が多く出てくるので、そういった部分が減ってしまい、それに伴って魅力が半減したと言えるかもしれない。
とは言え、じゃあ次回作を買わないかと言われると、やはり買ってしまうわけで、この微妙な物足りなさが、次の作品を買わせる原動力になっているのかもしれない。
賭け事の心理として、当たる確率が低ければ低いほどハマる、という研究を見たことがあるが、この微妙な外し具合も、森先生の計算のうちだったとしたら、ボクは完全に術中にハマっていると言えるのだろう。
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死刑って、なんだろう?
死刑って、なんのためにあるんだろう?
そんなことを考えさせてくれた事件だった気がする。
よく殺された人の家族は、あんなやつは死刑にして欲しいという。
でも、彼を死刑にして本当に良かったのだろうか?
死刑というのは、死にたくないと思う人に対して行うから意味がある。
でも、死にたいと思う人に、死刑を執行してあげても、それは刑にならないだろう。
これは、居心地が良い刑務所と同じ。
犯罪を犯さないように刑を科すのに、
刑務所の方が居心地がいいからと言って、
わざわざ盗みに入るようなもの。
社会に不満があって、自殺をしたいと思ったが、
もしも自殺をするまでの勇気がなかったら、
誰かを殺して死刑になれば、
自殺しなくても殺してもらえる。
すごく変な話である。
ただ、もしも鞭うちの刑があったとして、
SMを趣味とする人がいた場合、
たたかれて「ああっ、いい!」とか言ってたら、
これって罰じゃないよなぁって、誰でも思うだろう。
やっぱり罰って言うのは、本人が嫌がることをやらなくちゃいけない。
そうなると、死にたがっている彼の場合、実は終身刑が最悪の刑になるのだろう。
死にたくても自殺をする自由さえない世界
本当に今回の死刑に意味があったのか、ボクにはわからない。
ただ、殺された子供たちの家族が、
少しでも気が晴れたというのであれば、
まあ、それこそがせめてもの救いと言えるのかもしれない。
死刑って、なんのためにあるんだろう?
そんなことを考えさせてくれた事件だった気がする。
よく殺された人の家族は、あんなやつは死刑にして欲しいという。
でも、彼を死刑にして本当に良かったのだろうか?
死刑というのは、死にたくないと思う人に対して行うから意味がある。
でも、死にたいと思う人に、死刑を執行してあげても、それは刑にならないだろう。
これは、居心地が良い刑務所と同じ。
犯罪を犯さないように刑を科すのに、
刑務所の方が居心地がいいからと言って、
わざわざ盗みに入るようなもの。
社会に不満があって、自殺をしたいと思ったが、
もしも自殺をするまでの勇気がなかったら、
誰かを殺して死刑になれば、
自殺しなくても殺してもらえる。
すごく変な話である。
ただ、もしも鞭うちの刑があったとして、
SMを趣味とする人がいた場合、
たたかれて「ああっ、いい!」とか言ってたら、
これって罰じゃないよなぁって、誰でも思うだろう。
やっぱり罰って言うのは、本人が嫌がることをやらなくちゃいけない。
そうなると、死にたがっている彼の場合、実は終身刑が最悪の刑になるのだろう。
死にたくても自殺をする自由さえない世界
本当に今回の死刑に意味があったのか、ボクにはわからない。
ただ、殺された子供たちの家族が、
少しでも気が晴れたというのであれば、
まあ、それこそがせめてもの救いと言えるのかもしれない。
補記
2004年9月15日 昼に書いた文章に付け加えたいことがある。
それは例の会見についてである。
最初に見たのは一部分だけだった。
そして、夜のニュースを見ていたら、
やはり全部ではなかったものの、
見ていなかった一部が放送された。
それは、子供たちへの虐待についての部分。
容疑者は嘘つきだから、問いつめても白状しなかった
というあとの部分である。
なんと彼は、たたいたら白状したと言ったのである。
40歳の男が39歳の男をたたく?
しかも、もと暴走族の先輩後輩の間柄で?
「たたく」
「なぐる」
「ぶちのめす」
「半殺しのめにあわせる」
これらはそれぞれイメージが異なると思うが、
やっていることはほぼ同じ。
いわゆる暴行・傷害事件である。
最初、私は容疑者は子供が憎くなったのかと思った。
しかし、もしかしたら、そうではないのかもしれないと思うようになってきた。
何か言い返せば殴られる怖い先輩がいる。
彼に刃向かおうとしてもボコボコにされるだけだ。
だとしたら、どうしよう?
反抗する手段は他でもない。
彼のものに八つ当たりをすること。
そして、彼の大事なものを壊して、彼を悲しませること。
容疑者は覚醒剤をやっていたという。
でも、なぜ覚醒剤をうって人を殺したのだろう?
覚醒剤をうったから殺したのか?
それとも、しらふでは殺せないからうったのか?
テレビで聞く人間像では小心者ぶりがクローズアップされる。
だとしたら、後者と考えるのが自然ではないかと思うのだが、
これはあまりに容疑者へ肩入れした態度なのだろうか?
それは例の会見についてである。
最初に見たのは一部分だけだった。
そして、夜のニュースを見ていたら、
やはり全部ではなかったものの、
見ていなかった一部が放送された。
それは、子供たちへの虐待についての部分。
容疑者は嘘つきだから、問いつめても白状しなかった
というあとの部分である。
なんと彼は、たたいたら白状したと言ったのである。
40歳の男が39歳の男をたたく?
しかも、もと暴走族の先輩後輩の間柄で?
「たたく」
「なぐる」
「ぶちのめす」
「半殺しのめにあわせる」
これらはそれぞれイメージが異なると思うが、
やっていることはほぼ同じ。
いわゆる暴行・傷害事件である。
最初、私は容疑者は子供が憎くなったのかと思った。
しかし、もしかしたら、そうではないのかもしれないと思うようになってきた。
何か言い返せば殴られる怖い先輩がいる。
彼に刃向かおうとしてもボコボコにされるだけだ。
だとしたら、どうしよう?
反抗する手段は他でもない。
彼のものに八つ当たりをすること。
そして、彼の大事なものを壊して、彼を悲しませること。
容疑者は覚醒剤をやっていたという。
でも、なぜ覚醒剤をうって人を殺したのだろう?
覚醒剤をうったから殺したのか?
それとも、しらふでは殺せないからうったのか?
テレビで聞く人間像では小心者ぶりがクローズアップされる。
だとしたら、後者と考えるのが自然ではないかと思うのだが、
これはあまりに容疑者へ肩入れした態度なのだろうか?
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父親が会見「怖い思いをさせた」 栃木の幼児誘拐 [朝日新聞]
2004年9月15日 時事ニュース
ニュースで会見の一部を見た。
きっと世の中の大半の人は、殺した人を悪く言うんだろう。
でも、本当にそうなのかな?
殺された子供が悪くないことは確かだ。
でも、そのお父さんはどうなの?
東京でうまくいかなくて、地元に戻ってくるとなったとき、
お世話になった先輩だったら「行くところがなかったら、うちに来たら」って言うだろう。
でも、それで3ヶ月も4ヶ月も居座るものかな?
生活費は半分出していたと言って、嘘つき呼ばわりしていたけど、
普通に二つの家族が生活していて、そんなにうまく半々にできるものかな?
共働きの家庭で、二人が全ての支出を半分ずつにしようと言ったら、
それって簡単にできるのかな?
容疑者が子供4人を連れてラーメン屋に行ったこともあるらしい。
そのときのお金って払ってるんだろうか?
また、払っていたとして、どんな風にいくら払ったんだろう?
お父さんの様子から、とても親分肌な感じがうかがわれ、
容疑者には子分肌という感じのおどおど感があったので、とても気になる。
「おお、うちの子たちをラーメン屋につれてってくれたらしいな。まあ、子供二人だから千円もあれば足りるだろ。えっ、多すぎるって。それくらい連れて行ってもらったんだから、お前にやるよ。とっとけって!」
一見すると太っ腹でいい感じ。
でも、これって居候の態度かって、思う人もいるかもしれない。
別にこのようなことがあったと言うわけではない。
ただ、自分の子供と一緒にかわいがっていた子供。
そして、実際に殺した場所などは非常に家の近くなのに、
なぜか11時間もドライブをしていたこと。
それを考えると、結構悩んで殺した様子がうかがわれる。
本人も悩んだのではないかという気がする。
結果として選んだ選択は、大きな間違いであったとは思う。
でも、そこまで追いつめたのは、果たして誰なんだろう?
そんな行動を取らせてしまったのは、果たして何が原因だったのだろう。
ボクはただの一般視聴者。
だから、何も細かい情報を持っているわけではない。
でも、だからこそいろいろな疑問がもてる。
きっと的はずれな疑問もたくさん。
これからいろいろなことがわかってくるんだろうけど、
とりあえずお父さんは今どこに住んでいるのか?
それが今はすごく気になる。
きっと世の中の大半の人は、殺した人を悪く言うんだろう。
でも、本当にそうなのかな?
殺された子供が悪くないことは確かだ。
でも、そのお父さんはどうなの?
東京でうまくいかなくて、地元に戻ってくるとなったとき、
お世話になった先輩だったら「行くところがなかったら、うちに来たら」って言うだろう。
でも、それで3ヶ月も4ヶ月も居座るものかな?
生活費は半分出していたと言って、嘘つき呼ばわりしていたけど、
普通に二つの家族が生活していて、そんなにうまく半々にできるものかな?
共働きの家庭で、二人が全ての支出を半分ずつにしようと言ったら、
それって簡単にできるのかな?
容疑者が子供4人を連れてラーメン屋に行ったこともあるらしい。
そのときのお金って払ってるんだろうか?
また、払っていたとして、どんな風にいくら払ったんだろう?
お父さんの様子から、とても親分肌な感じがうかがわれ、
容疑者には子分肌という感じのおどおど感があったので、とても気になる。
「おお、うちの子たちをラーメン屋につれてってくれたらしいな。まあ、子供二人だから千円もあれば足りるだろ。えっ、多すぎるって。それくらい連れて行ってもらったんだから、お前にやるよ。とっとけって!」
一見すると太っ腹でいい感じ。
でも、これって居候の態度かって、思う人もいるかもしれない。
別にこのようなことがあったと言うわけではない。
ただ、自分の子供と一緒にかわいがっていた子供。
そして、実際に殺した場所などは非常に家の近くなのに、
なぜか11時間もドライブをしていたこと。
それを考えると、結構悩んで殺した様子がうかがわれる。
本人も悩んだのではないかという気がする。
結果として選んだ選択は、大きな間違いであったとは思う。
でも、そこまで追いつめたのは、果たして誰なんだろう?
そんな行動を取らせてしまったのは、果たして何が原因だったのだろう。
ボクはただの一般視聴者。
だから、何も細かい情報を持っているわけではない。
でも、だからこそいろいろな疑問がもてる。
きっと的はずれな疑問もたくさん。
これからいろいろなことがわかってくるんだろうけど、
とりあえずお父さんは今どこに住んでいるのか?
それが今はすごく気になる。
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250円ラーメン
2004年9月14日 最近、安いラーメン店が増えている。うちの近所にも180円ラーメンなどがあるが、なかなかおいしい。ただ、やはり安いだけあって、インスタントラーメンのイメージはぬぐい去れない。せいぜいスーパーで売っている透明のビニールに入った、麺とスープがセットになったラーメン。その程度であろう。
そんな中、250円の割に非常においしいラーメン屋を見つけた。味のイメージは、チェーンでよくある「うまいラーメンショップ」。それが、並のラーメンで良ければ250円で食べられるのである。具も最低限のものは乗っており、しかもおなかが減っていれば中盛や大盛にもできる。なんとリーズナブル。貧乏人の私にはもってこいの店である。
安いラーメンというのもいいが、やはりおいしくなくては長続きはしない。家族で細々とやっている店のようでもあるが、ぜひともこの味を持続して、180円ラーメンには負けないように頑張って欲しいものだ。
そんな中、250円の割に非常においしいラーメン屋を見つけた。味のイメージは、チェーンでよくある「うまいラーメンショップ」。それが、並のラーメンで良ければ250円で食べられるのである。具も最低限のものは乗っており、しかもおなかが減っていれば中盛や大盛にもできる。なんとリーズナブル。貧乏人の私にはもってこいの店である。
安いラーメンというのもいいが、やはりおいしくなくては長続きはしない。家族で細々とやっている店のようでもあるが、ぜひともこの味を持続して、180円ラーメンには負けないように頑張って欲しいものだ。
牛乳焼酎
2004年9月13日 世の中にはいろいろなお酒があるが、最近は焼酎のファンというのが増えているらしい。私もお酒の売り場に行くと、焼酎の売り場をふらつくことが多いのだが、今回は今までずっと気になりつつも買わずにいた、牛乳焼酎なるものを買ってみた。
これは以前にテレビか何かで紹介されたのを見て、気にはなっていたのだが、「えっ、牛乳?」という思いが強くて何となく買えずにいた一品である。その名も『牧場の夢』。何ともそれらしい。
能書きには、温泉水を使っているため飲み続けると身体にいいということがしきりに強調されている。もともとは『温泉の夢』という商品があり、それに牛乳を組み合わせたのが、この商品らしい。
そこで早速飲んでみたのだが、思ったよりかは結構うまい。口に含んだときに、何とも言えないまろやかな香りがある。ただ、やはり牛乳っぽい香りであるために、スッキリした感じではない。やはりこれを評する言葉は『まろやか』という言葉になるのだろうか。香りが口全体にまったりと広がるイメージなのである。
それにしても、これを飲み続けると身体に良いというのはありがたい。酒は百薬の長とはいうが、本当に効くのなら飲み続けてもいい。ただ、飲み続けたときにスッキリ感が恋しくなるかもしれないが。
これは以前にテレビか何かで紹介されたのを見て、気にはなっていたのだが、「えっ、牛乳?」という思いが強くて何となく買えずにいた一品である。その名も『牧場の夢』。何ともそれらしい。
能書きには、温泉水を使っているため飲み続けると身体にいいということがしきりに強調されている。もともとは『温泉の夢』という商品があり、それに牛乳を組み合わせたのが、この商品らしい。
そこで早速飲んでみたのだが、思ったよりかは結構うまい。口に含んだときに、何とも言えないまろやかな香りがある。ただ、やはり牛乳っぽい香りであるために、スッキリした感じではない。やはりこれを評する言葉は『まろやか』という言葉になるのだろうか。香りが口全体にまったりと広がるイメージなのである。
それにしても、これを飲み続けると身体に良いというのはありがたい。酒は百薬の長とはいうが、本当に効くのなら飲み続けてもいい。ただ、飲み続けたときにスッキリ感が恋しくなるかもしれないが。
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カルピス
2004年9月12日 ドンキホーテでカルピス液を買ってきた。私はこれが大好きだ。
いつも飲み物がないと、普段はあまり使っていないコーヒーメーカーのコーヒーを入れておく入れ物を出してきて、そこに大量に作る。そして、薄目に作ったそれを汗だくの中でゴクゴク飲むのである。氷を贅沢に使えば、キンキンに冷えて、暑い夏日などには最高だ。
ただ、非常に面倒なことがある。今年もこのカルピス液を数本空けてしまったのであるが、身体に予想通りの変化が起きてしまったのだ。
う〜ん、まずい。
ほんの5kgなのだが、これって落とそうと思うと大変なのよね。
ということで、今年もダイエット計画を検討中。何か良いダイエット方法があったらやりたいのだけど、結局は摂取カロリーを減らして運動するしかないんだろうなぁ……
いつも飲み物がないと、普段はあまり使っていないコーヒーメーカーのコーヒーを入れておく入れ物を出してきて、そこに大量に作る。そして、薄目に作ったそれを汗だくの中でゴクゴク飲むのである。氷を贅沢に使えば、キンキンに冷えて、暑い夏日などには最高だ。
ただ、非常に面倒なことがある。今年もこのカルピス液を数本空けてしまったのであるが、身体に予想通りの変化が起きてしまったのだ。
う〜ん、まずい。
ほんの5kgなのだが、これって落とそうと思うと大変なのよね。
ということで、今年もダイエット計画を検討中。何か良いダイエット方法があったらやりたいのだけど、結局は摂取カロリーを減らして運動するしかないんだろうなぁ……
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自家製おやつ
2004年9月11日餅があまっていたのでおかきを作る
今までうまくいったことがないおかき
それが今回はとてもうまい
低温でじっくり揚げたのが勝因か
またあまったら作ってみよう
パン粉があまっていたのでドーナツを作る
今まで厄介者だった2kgの業務用パン粉
それが今回は結構うまい
卵と砂糖を混ぜて揚げただけなのに
また腹減ったらやってみよう
気が付いてみたら揚げ物ばかり
昨日のネタもドンタコス
これじゃあ俺も太るはずだ
ただ食べたいものを食べただけ
でもやっぱりダイエットを考えようか
今までうまくいったことがないおかき
それが今回はとてもうまい
低温でじっくり揚げたのが勝因か
またあまったら作ってみよう
パン粉があまっていたのでドーナツを作る
今まで厄介者だった2kgの業務用パン粉
それが今回は結構うまい
卵と砂糖を混ぜて揚げただけなのに
また腹減ったらやってみよう
気が付いてみたら揚げ物ばかり
昨日のネタもドンタコス
これじゃあ俺も太るはずだ
ただ食べたいものを食べただけ
でもやっぱりダイエットを考えようか
ファミマの100円菓子
2004年9月10日 ファミマのお菓子が結構おいしい。ただ、近所のファミマはなぜか種類が少ない。私の好みがおかしいのかもしれないが、昔から焼きトウモロコシ味のスピンが好きでよく買っていた。ところが、これがうちの近くのファミマでは入らないのである。まさかなくなったということもないだろうと思うのだが、私の行動範囲にはなぜかファミマが少なく、ローソンやAM/PMなどが多いため、確認をすることもできない。(別にわざわざ確認するほどの気もないのだが)
そこで、今日はドンタコスもどきを買ってきた。これも昔からよく買っている一品なのだが、結構うまい。こんなに明らかにダンピングをしているというのは非常にありがたいのだが、いつも「正規品が売れなくなるのでは」と勝手な心配をしてしまう。
でも、安く買えるのはとてもいい。
ボクのおやつシリーズ万歳!!
これからも、もっともっと種類を増やして、おいしいお菓子を安く売って欲しいものだ。
そこで、今日はドンタコスもどきを買ってきた。これも昔からよく買っている一品なのだが、結構うまい。こんなに明らかにダンピングをしているというのは非常にありがたいのだが、いつも「正規品が売れなくなるのでは」と勝手な心配をしてしまう。
でも、安く買えるのはとてもいい。
ボクのおやつシリーズ万歳!!
これからも、もっともっと種類を増やして、おいしいお菓子を安く売って欲しいものだ。
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歯医者−2
2004年9月9日昨日つめた歯がおかしい。まだ、いたい。なぜだろう。治したはずなのに……
でも、歯医者ってそんなものかもしれない。なんだか歯医者というものへの信頼が薄らいでいく。
そもそも、僕はそれほど医者というものを信頼していない。なぜならば、医者という肩書きだけで、その人を判断するのは間違いだと思っているからだ。ただ、医者というものをまったく信頼しないのかというとそうではない。疑うことも重要だが、信頼することも同じくらい重要なのだ。なぜならば、医者である以上はその道の専門家であり、少なくとも医学の知識という点においては、私よりも優れた知識を持っているからである。
では、どう接するべきなのであろうか。そこで出てくるのが、インフォームドコンセントである。どれだけきちんと説明をしてくれるのか。これが重要なのだ。そして、当然そのインフォームドコンセントが成立するためには、私自身の努力も必要だ。
知ろうとする努力。何が問題なのかを把握する力。これは最低限必要だ。これを怠れば、いくら先生が説明してくれたとしても、わかった気になって、そのまま医師の判断を受け入れるだけに終わってしまい、気が付けば問題が起ったときに「あのとき、うんと言ったじゃないか」という責任逃れの口実を与えるだけになる可能性がある。それではダメなのだ。
私は今、歯医者に通いながら、いろいろな勉強をしている。歯の磨き方、歯周病に関する知識、そして、虫歯の治し方。
でも、こうして勉強をしてみると、作業の意味などが理解できてくるから、自分の状態というものがよりリアルにわかってくる。歯科助手の人が、つたない言葉で話していても、その意味が理解できる。こうして、より積極的に自分から病気などと向き合うことができるようになる。
そんなことをしている時間はない、という人もあるかもしれない。でも、最近は短時間でわかるような読みやすいイラスト入りの本が結構ある。そんな本をちょっと本屋さんで立ち読みをしてみるだけでも、案外違うものだ。知識というのは時に悪さをすることもあるので注意が必要だと思うが、医師との対話のためには、やはりそれなりの準備をしておくことが必要だと思う。
でも、歯医者ってそんなものかもしれない。なんだか歯医者というものへの信頼が薄らいでいく。
そもそも、僕はそれほど医者というものを信頼していない。なぜならば、医者という肩書きだけで、その人を判断するのは間違いだと思っているからだ。ただ、医者というものをまったく信頼しないのかというとそうではない。疑うことも重要だが、信頼することも同じくらい重要なのだ。なぜならば、医者である以上はその道の専門家であり、少なくとも医学の知識という点においては、私よりも優れた知識を持っているからである。
では、どう接するべきなのであろうか。そこで出てくるのが、インフォームドコンセントである。どれだけきちんと説明をしてくれるのか。これが重要なのだ。そして、当然そのインフォームドコンセントが成立するためには、私自身の努力も必要だ。
知ろうとする努力。何が問題なのかを把握する力。これは最低限必要だ。これを怠れば、いくら先生が説明してくれたとしても、わかった気になって、そのまま医師の判断を受け入れるだけに終わってしまい、気が付けば問題が起ったときに「あのとき、うんと言ったじゃないか」という責任逃れの口実を与えるだけになる可能性がある。それではダメなのだ。
私は今、歯医者に通いながら、いろいろな勉強をしている。歯の磨き方、歯周病に関する知識、そして、虫歯の治し方。
でも、こうして勉強をしてみると、作業の意味などが理解できてくるから、自分の状態というものがよりリアルにわかってくる。歯科助手の人が、つたない言葉で話していても、その意味が理解できる。こうして、より積極的に自分から病気などと向き合うことができるようになる。
そんなことをしている時間はない、という人もあるかもしれない。でも、最近は短時間でわかるような読みやすいイラスト入りの本が結構ある。そんな本をちょっと本屋さんで立ち読みをしてみるだけでも、案外違うものだ。知識というのは時に悪さをすることもあるので注意が必要だと思うが、医師との対話のためには、やはりそれなりの準備をしておくことが必要だと思う。
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歯医者
2004年9月8日歯医者の匂いというのは、なぜか僕を緊張させる。今日は歯医者に行って、虫歯を詰めてもらったのだけど、あの独特の消毒の匂いが妙に口の中に残って、なんか不快。ああ、やっぱりもっときちんと歯を磨いておくんだった。
でもどうして歯医者って、あんなに高いんだろう。しかも、腕の差がとても大きい。今回の歯医者は紹介で行ったのだが、果たしてあたりなんだろうか。うちの近所にもたくさんあるのだけど、わざわざ都心にまで行っているのだから、ぜひとも腕の良い歯医者であることを期待したい。
でもどうして歯医者って、あんなに高いんだろう。しかも、腕の差がとても大きい。今回の歯医者は紹介で行ったのだが、果たしてあたりなんだろうか。うちの近所にもたくさんあるのだけど、わざわざ都心にまで行っているのだから、ぜひとも腕の良い歯医者であることを期待したい。
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この日記について
2004年9月7日 インターネットの日記って難しい。だって、日記だから自分だけのものかというと、インターネット上にあるんだから他人だって読むかもしれない。じゃあ、ここでの文章ってどんな文章を書くべきなんだろう?
他人に読まれることを考えたら、もっときちんとした文章を書かなくちゃいけないんだろうし、内容もよく考えて書いた方がいいんだろう。でも、そこまで力を入れて書く気はないし、書きたいことを書くっていうくらいにしか考えてない。ただ、下手に映画の批評とか、本の批評を書いちゃうと、他人が参考にするかもしれないんだよな。っていうか、読む人が格段に多くなる。それを考えると、ちょっと憂鬱。
インターネット上に書く以上は、やっぱりもっと考えて書いた方がいいんだろうな。でも、このホームページって、文句を言われる可能性はないし、変なことを書いたところで、嫌がらせをされる可能性もない。自分のホームページとは違うんだから、そこは安心していいんだろう。そう考えると、やっぱり好き勝手に書いていった方がいいのかもしれない。そして、見たいやつは見てけ!って方が、面白いかも。まあ、とりあえず、そんな方針で行くか。
他人に読まれることを考えたら、もっときちんとした文章を書かなくちゃいけないんだろうし、内容もよく考えて書いた方がいいんだろう。でも、そこまで力を入れて書く気はないし、書きたいことを書くっていうくらいにしか考えてない。ただ、下手に映画の批評とか、本の批評を書いちゃうと、他人が参考にするかもしれないんだよな。っていうか、読む人が格段に多くなる。それを考えると、ちょっと憂鬱。
インターネット上に書く以上は、やっぱりもっと考えて書いた方がいいんだろうな。でも、このホームページって、文句を言われる可能性はないし、変なことを書いたところで、嫌がらせをされる可能性もない。自分のホームページとは違うんだから、そこは安心していいんだろう。そう考えると、やっぱり好き勝手に書いていった方がいいのかもしれない。そして、見たいやつは見てけ!って方が、面白いかも。まあ、とりあえず、そんな方針で行くか。
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さよなら銀河鉄道999 -アンドロメダ終着駅- (劇場版)
2004年9月6日 映画
BSアニメ夜話で特集をやっていた。僕はもともと銀河鉄道999が大好きだったので、何となくチャンネルを合わせてみた。
そこでは、今までと全然違うこの映画の一面をかいま見ることができた。今までの印象といえば、どちらかというと否定的だった。それは僕が当時ほんの子供であり、テレビの999を見て、おもちゃなどを買っていた世代だったからかもしれない。だから、アニメを作品としてみることはできず、むしろ幼稚園生や小学生であった僕にとっては、何度見ても裏切りにしか見えなかった。そう、やはり鉄郎の姿が受け入れられなかったのである。
僕はどちらかというとジャガイモキャラが好きだ。今現在も総務部総務課山口六平太などを愛読している。だから、あのキャラクターには愛着があったのに、急にキリッとしてしまった鉄郎に失望感を抱いた。そして、主題歌も全然雰囲気が違うことに腹を立てた。その結果、テレビで放送されれば見ることは見るものの、あまり良い印象を抱かないままに、今まできてしまった。
でも、あらためて振り返ってみると、その評価は少し違っても良いと思えるようになってきた。あれはあれで良いのだと思えるようになってきた。そして、むしろ好きな映画の一つにさえ、思えるようになってきたのである。
これは別に私の好みが急に変わったのではない。むしろ、本当は好きだったのに、表層的な裏切りへの腹立ちが、それを覆い隠していたといった方が正しいと思う。だから、そのベールがはがれたとき、その良さに気が付き始めたのである。
そうして、今になってやっと気が付いた自分の好きな場面。それは、一番最初の場面であった。鉄郎の乗った999が脱線させられそうになるのを、仲間たちが命をかけて守り、なぜかあの高度な技術を使っている銀河鉄道において、手動のポイントを切り替えて、999を脱線から守る。そして、崩れていく線路をのぼりながら999が去っていき、それを見送る老兵。しかも、声優は森山周一郎。紅の豚のあの声である。かっこいい!やっぱりあの場面はかっこいい。そんな最初?と言われそうだが、それでもやはり一番印象に残っているのはあの場面なのである。
そんなわけで、今回ふとしたところからこの映画の評価を見直したわけであるが、これを機会にぜひもう一度見直してみたい。そうすれば、もしかしたら、また新たな発見があるかもしれない。そして、そのような発見があったときには、また何かを書いてみたいと思う。
そこでは、今までと全然違うこの映画の一面をかいま見ることができた。今までの印象といえば、どちらかというと否定的だった。それは僕が当時ほんの子供であり、テレビの999を見て、おもちゃなどを買っていた世代だったからかもしれない。だから、アニメを作品としてみることはできず、むしろ幼稚園生や小学生であった僕にとっては、何度見ても裏切りにしか見えなかった。そう、やはり鉄郎の姿が受け入れられなかったのである。
僕はどちらかというとジャガイモキャラが好きだ。今現在も総務部総務課山口六平太などを愛読している。だから、あのキャラクターには愛着があったのに、急にキリッとしてしまった鉄郎に失望感を抱いた。そして、主題歌も全然雰囲気が違うことに腹を立てた。その結果、テレビで放送されれば見ることは見るものの、あまり良い印象を抱かないままに、今まできてしまった。
でも、あらためて振り返ってみると、その評価は少し違っても良いと思えるようになってきた。あれはあれで良いのだと思えるようになってきた。そして、むしろ好きな映画の一つにさえ、思えるようになってきたのである。
これは別に私の好みが急に変わったのではない。むしろ、本当は好きだったのに、表層的な裏切りへの腹立ちが、それを覆い隠していたといった方が正しいと思う。だから、そのベールがはがれたとき、その良さに気が付き始めたのである。
そうして、今になってやっと気が付いた自分の好きな場面。それは、一番最初の場面であった。鉄郎の乗った999が脱線させられそうになるのを、仲間たちが命をかけて守り、なぜかあの高度な技術を使っている銀河鉄道において、手動のポイントを切り替えて、999を脱線から守る。そして、崩れていく線路をのぼりながら999が去っていき、それを見送る老兵。しかも、声優は森山周一郎。紅の豚のあの声である。かっこいい!やっぱりあの場面はかっこいい。そんな最初?と言われそうだが、それでもやはり一番印象に残っているのはあの場面なのである。
そんなわけで、今回ふとしたところからこの映画の評価を見直したわけであるが、これを機会にぜひもう一度見直してみたい。そうすれば、もしかしたら、また新たな発見があるかもしれない。そして、そのような発見があったときには、また何かを書いてみたいと思う。
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